4


「ワーニャ!」
 駆け寄って支えた魔術師の身体が驚くほど冷たい。呼吸は荒く、滴り落ちた汗が床の色を濃く変えている。魔術師が真っ青な顔で傍らに膝をつく皇帝を見つめた。
「陛下……ご無事、でしたか……」
「無理をするな、イヴァン」
「見たところ魔術の使いすぎだな。二、三日休めば回復するだろうから心配すんな」
 皇帝を追うようにゆっくりと歩み寄ってきた男が、二人のすぐ近くまで来ていた。途端に身体を起こして警戒を露わにする魔術師に苦笑し、男が両手を挙げてひらひら振って見せた。
「あーもう何もしねえって。……そんなことより、どれだけ細かく条件指定したんだよ。異世界から抵抗力の強い俺を引っ張り出してくるなんて、並大抵の努力じゃできないはずだ」
「余は……生涯共にあることのできる伴侶を望んだ」
 ぽつりと皇帝が呟く。それを聞いて、男が嬉しそうに破顔した。
「じゃあぴったりだな。俺もずっと、俺が愛するべき人を探していたんだ。あの召喚術で喚ばれた時から待ちきれなかった」
「だが……そなたは男だろう」
「ああ、男だが? ……あ、もしかしてあんた、性別は指定してなかったんじゃないのか」
 指摘され、皇帝は目を見開いた。
 嫁が欲しいとは思っていた。だが、召喚術を行う際にはっきりと言葉にしただろうか。確かに、女性に限るとは言わなかった。『身ごもることのない者』という条件のうちに男性が含まれるのは、言われてみればおかしなことではない。
「わたくしが……気づいておらず……」
「よい」
 皇帝は魔術師の謝罪を押し留めた。はっきりと言わなかったのは彼自身だ。責任の所在は、つまり皇帝本人にあるのだろう。
「謎は解けたか?」
「……ああ」
 皇帝は頷くと、意を決して男を見据えた。
 夜の闇のような黒い髪と瞳、美しく整った顔立ち。背丈は皇帝より少しばかり低く、自信ありげに腕組みをして立つ男の背筋は綺麗に伸びており、育ちの良さを思わせる。魔術師をも凌ぐ能力は、すなわち知識と教養を裏付けているはずだ。
 確かに彼は、皇帝の出した条件に合う人物らしかった。
「余は、そなたを伴侶として魔術師イヴァン・ソロヴィヨーフに召喚させた、ソーンツァ帝国第十五代皇帝、アレクサンドル・ソーンツァだ。そなたの名を聞こう」
「皇帝陛下か。思っていたより随分若いんだな。……俺はこことは別の世界にあるニホンという国で学生をしていた、ガイト・カミヤ。あー、こっち風に言うと、ヴィクトル・ヴォールコフだ。ついでに、そこの魔術師と同じアクロワ先生の弟子でもある」
「アクロワ師が、何故……」
 魔術師がはっきりと動揺を示した。
 アクロワは何代にも渡ってソーンツァ帝国の歴史に名を残す大魔術師だ。魔術を極めたためにほとんど不死に近く、既に数百年生きている。帝国の魔術師は大概が彼の教え子にあたり、イヴァンもまたその一人だった。
 だが、異世界にまで弟子がいるとは皇帝も聞いてはいない。驚く二人の様子に男が肩を竦めた。
「あの人、こっちの世界のめぼしいやつはみんな鍛えたからって、魔術の才能があるやつを世界問わずで検索して俺のとこに来たそうだ。あっちの世界には魔術なんてものはないから、最初は頭がどうかしているのかと思ったけどな」
「……あ、あの方は……!」
「おい、大丈夫か」
 忌々しげに呟いた魔術師が、途端に目に見えて脱力した。ぐったりと凭れかかられ、皇帝が慌てて彼の様子を確かめる。脈をとると、魔術師は意識を失っているようだった。
「気が抜けたんだろ。先生は魔術を濫用するようなやつは弟子にしないからな」
「……それはつまり、そなたの人柄の証明だということか」
「その通り。って言いたいとこだが、それはあんたが追々判断してくれりゃいい話だ。それよりここは寒い。魔術師をベッドに運ぶから案内してくれ」
 皇帝は深々と溜め息を吐き出した。その息は確かに白い。男の言う通り、これほど寒いところに具合の悪い魔術師をいつまでも寝かせておくべきではないだろう。
「ついて参れ」
 皇帝が立ち上がるのに合わせ、男が指先で魔術師の身体を浮かび上がらせた。


Prev | Next

Novel Top

Back to Index