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 俺がたまに遊んでくれる隣のおにーさんに恋してしまったと気づいたのは、俺が十五歳になった年。隼人さんは二十二歳で、大学を卒業したらおにーさんが居なくなってしまうって実感した時に自覚した。ただの隣人の俺は卒業式の日にも行けるはずがなくて、自分の部屋に籠もって泣いた。
 びっくりしたのは、てっきり引っ越してしまったと思った隼人さんがまだ隣に住んでいると知った時。だって最寄り駅から電車で一本のとこに就職したし、引っ越すのかったるいもん、と笑った姿に安心してその夜もまた泣いた。ここ無料の駐車場あるし、と言われてものすごく納得したけど、今思うと黒歴史すぎる。
 俺が安心して隼人さんに恋していられたのは、多分隼人さんが恋人の影を見せなかったからだと思う。隼人さんは毛先だけ明るい茶色に染めた髪に軽いパーマをあてていて、日に焼けにくい肌が白くて、すごく端正な顔をしている。頭が小さいのに身長は高いからものすごくスタイルもいい。だからもてないはずはないのに、休日はわりと自宅でゴロゴロしている。隼人さんの部屋に時々押しかける度、俺は女性の持ち物がないことにすごくすごく安心する。
 車と映画鑑賞が趣味な隼人さんの部屋のテレビは四十七インチあって、九畳ちょっとある部屋のベッドに座って観るのが一番いい。
 いつも通り隼人さんの隣に座った俺はしばらく映画を観ていたけど、内容はさっぱり入ってこない。俺も同じのを買ってるし、それを事前に観ておいたから集中しなくても大丈夫。ホラー苦手だから泣いたけど。
 上映中かなり話題になっていたゾンビ映画が終盤の盛り上がりを見せているのを確かめて、俺はこっそりポケットからリモコンを取り出した。人間を操作できるあれ。非人道的な物体を、そうっと隼人さんの方に向ける。コマンドは事前に選んであった。
 カチ。
 それからやっぱり音をさせないようにポケットにしまう。これで、いいはず。
 このシーンからエンディングまで、あと二十分もない。わかっているのに、俺はそわそわして落ち着かない。
 二十分ってこんなに長かったっけ。ついちらちらとテレビの横にある時計を見てしまう。秒針の動きってこんなに鈍いのか。ていうかホラー怖い。一度観たけどやっぱり怖い。隼人さんがホラー好きだから仕方ないけど、ちょっとビクッとなる。
 やっとスタッフロールまできて、俺はいつもならそれも最後まで観るのに、我慢しきれなくなって隼人さんに声をかけた。
「おにーさん」
「ん、何? 響」
 こっちを向いた隼人さんの表情がいつもよりずっと柔らかくて、俺は成功を確信した。選んだのは、恋人のコマンド。これで、隼人さんは俺を恋人だと思い込んだはず。
「え、映画はもういいからさ」
 くい、とシャツの裾を引いておいて、自分で赤面する。こんなに甘えたような態度、誰にもやったことない。くす、と隼人さんが笑った。
「なーに、そんなに俺が好き?」
 隼人さんは目が大きいのにいつも眼差しがしっかりしているから、すごくきりっとした印象がある。それがふんわり細められて、その真っ黒な瞳に俺の姿が映っている。ますます赤くなって頷いた俺の頬に隼人さんの暖かい手が触れた。
「ひーびき」
 こんなに甘い声で呼ばれたこと、ない。俺が俯きかけた顔を上げたのと同時に、隼人さんの唇がそっと俺の唇を覆った。
「ん……」
 ドキドキしすぎて鼓動が耳元で聞こえるようだ。隼人さんにもばれてるだろうか。そっと伸ばした腕がみっともなく震えていて、それすら恥ずかしくてたまらない。隼人さんの首に腕を回すと、俺が引き寄せるより先に隼人さんの方が俺をぐいと引っ張った。
「ふ、あ」
 座った状態から上半身が隼人さんに倒れ込んでいる。少し苦しい姿勢だったけど、半開きの唇に何度もちゅっちゅっと音を立ててキスされて、苦しさなんてどこかに飛んでいった。気持ちいい。優しくて気持ちよくて、泣きたい。
「響」
「っは、隼人、さん……」
 初めて本人に向かって名前を呼んだ。呼べた。それだけで胸にこみ上げるものがあって、じんわりと目に涙が滲む。
 隼人さんが心底嬉しそうに微笑んで、俺の背中を優しく撫でる。思わず女の子みたいにうっとり見上げる俺に向かって、隼人さんが甘く囁いた。
「好きだよ、響……」
 それは、嘘だ。


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