35


 冷たく吹き付ける冬の風に、窓から外を眺めていたカクウンチョウの鳶色の髪が揺れる。かたんと音を立てて窓を閉じ、外気に触れたことによって冷えた指先で革張りの椅子の背をなぞる。上将軍の執務室は華美ではないものの質のよい調度品で満たされ、目の肥えたカクウンチョウを満足させている。
「ふ……」
 卓に置かれた小さな筆立てに触れる。竹を拙い手技で彫ったそれは幾分か古ぼけていて、表面は驚くほど滑らかだ。まだ幼かった頃のライソウハに贈られたというそれを、この椅子に腰掛けていた頃のシンシュウランは時々撫でるのが癖だった。
 今、この椅子はカクウンチョウのものだ。シンシュウランはもはや上将軍ではない。代わりに、カクウンチョウがその地位についている。
「皮肉なものだな……」
 言葉とは裏腹にくすりと小さく笑いを零して、カクウンチョウは指先でその筆立てを撫でた。
 扉の外から声を掛けられたのはその時だった。誰何に応えたのは先日送り出していた部下たちで、カクウンチョウは彼らを促して入室させた。入ってすぐに礼を取る彼らを微笑んだまま見守って、カクウンチョウはゆるりと首を傾げた。
「それで、首尾はどうだった?」
「上将軍……」
 報告に来ていた部下たちが顔を歪める。その表情が事の首尾を物語っていたが、カクウンチョウは黙ったまま続きを促した。一人が代表して暗い口調で報告を始める。
「……シンシュウランさま及びセイショウカンさまの家宅を捜しましたが、どちらももぬけの殻でした。家人も用人も一人残らず姿を消しており、近隣に尋ねてもある日消えてしまったとしか……」
 報告するその表情が苦々しいのは、シンシュウランとセイショウカンの家人を捕縛しろという命令を達成できなかったから、それだけではないだろう。ここにいる彼らは皆シンシュウランとセイショウカンの部下だった者たちだ。造反の疑いが掛けられてはいても、彼らを慕う気持ちが消えたわけではないのだろう。二人の名前に敬称をつけているのがその証拠だ。
 ふうん、とカクウンチョウは相変わらず飄々とした表情のまま頷いた。
「どちらもうまく逃げおおせたということか。……誰か内部に手引きした者がいるな」
 言って、カクウンチョウは冷たく微笑んだ。
「犯人探しは後回しにしておこう。それより、捜索の範囲を広げて必ず彼らを見つけ出すように」
 シンシュウランとセイショウカンが造反したかどうかは不明だが、その確証がなくとも彼らの家人は捕まえておかなければならない。王に刃を向けた責任は一族郎党で支払うものだからだ。
 そんなカクウンチョウの指示は当然のものであるのにも関わらず、彼らの表情は苦しげに歪んだ。恐らく彼らが平民上がりだからだろう。平民上がりで、シンシュウランの片腕として異例の出世を遂げたセイショウカンを英雄視する平民出身の軍人は少なくない。そんな彼の家族を捕縛したくはないのだろう。
 薄く微笑んだまま、カクウンチョウは指先を筆立てに彫られた花へと滑らせた。
「王を弑逆しようとした罪はどの程度の重さになる?」
「……一族郎党全て責を問われます」
「それでは、シンシュウランとセイショウカンの一族郎党が必要だ。そうだろう?」
「……はい」
 苦渋を堪えて頷かれる。カクウンチョウは心持ち表情を和らげて見せた。不意に眉を下げて優しげな微笑みを浮かべたカクウンチョウを、軍人たちは不思議そうな顔で見つめ返した。
「まだ何が真実か決まったわけではないだろう。シンシュウランが下手人であるという証拠が出たか? ないだろう、そんなもの。真実がわからない以上、お前たちはただお前たちの責務を果たすべきだ。……彼らを信じているのなら、尚更な」
「そう……です、ね」
「仰る通りです……シンシュウランさまが陛下に造反するはずがない」
 一人が頷き、残りがそれに続いた。カクウンチョウは今度こそ楽しげな表情で彼らが口々にシンシュウランやセイショウカンを信じると言うのを聞いていた。二人を信じると言った彼らが進んでその家族を捕縛しに行くのだから、それもまた皮肉なことだった。


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