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 自分が王になるだなんて、何かの間違いではないだろうか。そう思いたくても、刻一刻と整えられる準備の様子がそれを許してくれない。瑞祥とそれほど変わらない自分の身長に合わせて仕立てられた龍袍が届けられて、コウクガイはひっそりとため息をついた。
 本来なら、王の第一子がその地位を引き継ぐのが当然だ。第二子は丞相になり、それ以降は何らかの役職を与えられるが、姓を下賜され王族ではなくなる。この国での王族とはそういうものだ。だが、前王太子であった父は五年前に世を去っており、現在王であるはずのコウライギには子がないどころか結婚すらしていない。そのため、コウライギの次に玉座につくのはコウクガイと決まったようなものだった。
 確かにコウライギからも、ホウジツやその他の人々からも、お前が将来は王になるのだと言われていた。その期待は重圧となってコウクガイにのしかかり、彼を萎縮させていた。
 せめて、コウレキスウだったなら。自分よりもはるかに優れた二つ年上の王子がその地位についてくれたなら良かったのに。彼は既に様々な才能を見せている。このままいけば、コウライギも後継者について考えを改めてくれるはず。そんな期待を抱いていた。
 だが、今回の件があったために、その期待も泡と消えた。コウライギは行方が知れないため、彼に直訴してコウレキスウを王位につけて貰うこともできない。一度王位を退いた者は二度と王位につけないことから、前王に再度即位して貰うことも不可能だ。しかも、チョウハク国からはコウクガイを王位につけるように圧力が掛けられているのだと、ホウジツから聞かされた。コウクガイにもはや逃げ場はない。
「……王になど、なりたくない……」
 ぽつりと呟けるのは、寝室に籠もっている今だけは独りきりだからだ。間もなくこの綺霞宮に迎えが来る。コウライギの住んでいた霽日宮に移り、ここにはグエンだけが残される。
「……」
 コウクガイは寝台から降り、寝室の扉を開けた。人払いしていたとはいえ、側仕えや女官たちは居室に控えている。彼らはコウクガイが顔を出した途端にさっと近くへ来て跪いた。
「殿下」
「綵雲宮へ行く。支度を」
 言いつけると、女官たちが即座に着替えを用意し始めた。側仕えは眉を寄せて黙り込んでいる。
「聞こえたか。コウレキスウ兄上へ先触れを出すように」
「……尊命」
 仏頂面のままの側仕えが踵を返し、居室の外にいる衛士に声をかける。それを横目に見ながら、コウクガイは女官たちに衣服を替えさせる。綺霞宮を出ても差し支えない装いになったことを確かめると、彼は素早い足取りで居室を出た。
「殿下……」
「少し、会って話すだけだ」
 それだけを告げて回廊を渡る。ざわめく女官たちに見送られ、コウクガイは長い回廊を抜けて綵雲宮を訪れた。
「殿下、こちらへ」
 綵雲宮の者に案内され、コウクガイは初めて宮の奥へと足を踏み入れた。
 コウクガイの住まう綺霞宮よりは随分と質素な装飾を見るともなしに見ながら進むと、やがて奥まった一室に通された。
「ようこそいらした、コウクガイ」
 コウレキスウが一礼して頬を緩める。それに礼を返しながら、コウクガイは彼と私的に顔を合わせるのがほぼ初めてであることを思い出した。自発的に対立した覚えはないが、幼い頃からコウレキスウとは何かと比較されて育った。そのためか、二人はあたかも犬猿の仲であるかのように扱われていたのは確かだ。それこそ式典の時でもなければ言葉を交わすことはおろか、顔を合わせることさえない。そんな二つ年上の従兄と視線を交え、コウクガイは緊張に強張った身体を宥めるように細く息を吐いた。
 案内された卓について、まずは当たり障りのない挨拶や雑談を交わす。ひとしきり歴史や学問の話などをしてから、コウクガイはやっと本題に触れた。
「お尋ねしたいことがあります」
「いいとも。聞こうか」
 促されてぎこちなく頷く。唇が妙に乾くようで、コウクガイは躊躇いながら唇を舐めた。喉がからからで、鼓動がうるさい。
「コウレキスウ、あなたは、納得していますか」
 王族を生まれたことを、コウクガイが王位につくことを、半ば軟禁されているかのような現状を、彼は納得しているのだろうか。
 正確にコウクガイの意図を読み取ったのか、コウレキスウは僅かに目を見開いてから破顔一笑した。
「うん、もちろん。……人の幸運も不運も、全て天帝がお決めになることだからね」
 その言葉を聞いて、コウクガイは静かに頷いた。コウクガイが王として即位する、十日前のことだった。


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