33


 チョウハク国からの使節が来ていたことをホウテイシュウが知ったのは、その使節が王宮を立ち去ってからのことだった。皓月宮の瑞祥のもとに顔を出して、読み書きの講義をしてから霽日宮へ立ち寄ろうとしたホウテイシュウは、いつになくざわめいた空気に違和感を覚えた。回廊を進む間にも官吏たちの噂話が飛び交っており、どうやらチョウハク国からの使節がコウ国に来ていたらしいと知る。
「父上」
 丞相、ホウジツの執務室を訪れたホウテイシュウの姿を見るなり、書簡に目を通していたホウジツは黙ったまま頷いた。
「父上、チョウハク国からの使節が来ていたというのは本当のことですか」
 語調が強くなるのも仕方のないことだった。変事があった翌日に瑞祥や王子たちが王宮に帰還してから、まだ十五日しか経っていない。それにも関わらず、最低でも片道十日はかかるチョウハク国からの使者が到着するのは少し早いように思える。
 幾ら役職についていないとはいえ、ホウテイシュウは現在の丞相であるホウジツから直々に次の丞相となることを言い渡されている立場だ。それなのに、使節との会談に同席すらさせて貰えなかったことになる。こんなにも早い時期に、使節は一体どんな狙いで送られてきたのか、ホウテイシュウは直接聞くべきだったはずだ。
「……チョウハクは、セツリさまの死の責任はコウ国にあるとして、開戦も辞さない考えだ」
 内心の考えを遮るように言い放たれ、ホウテイシュウは息を呑んだ。
「まさか」
 全く想定していなかったわけではないが、考えていた中で最悪の事態だ。
「事実だ。……そして、未だにコウライギは見つかっていない。死体も出ていないが、この状況でいつまでも玉座を空にしたままではコウ国そのものが立ちゆかない。そこで、コウクガイを王位につけることで折衷した」
「コウクガイを……しかし、万が一コウライギが見つかったら」
「それでも変わらん。一度王位を退いた者は再び王にはなれない。もともとコウライギはコウクガイを次の王に据えるつもりだった、それが早まるだけだ」
 チョウハク国の王女であったセツリの息子を王位につけたいという思惑は理解できる。外交を有利にするつもりなのだろう。業腹ではあるが、それによって戦争を回避できるのなら願ってもないことだ。だが、コウクガイはまだ十歳でしかない。年が明ければ十一になるが、それでも成人まではあと五年ある。ホウジツが後見につくのだろうが、これではまるで……、そこまで考えて、ホウテイシュウは顔色を悪くして小さく首を振った。まさか、そんなことはないはずだ。
「しかし……コウライギには瑞祥が、」
 瑞祥は優れた王のもとに降臨する。コウライギは、瑞祥に選ばれた。その治世がこれほど短くていいはずがない。ホウテイシュウも、そしてきっと民草も、納得はできないだろう。
「そんなものはただの伝承だ。瑞祥は何も齎さない。死んだ時に災いを振り撒くだけだ。お前も歴史くらい学んだだろう」
 底冷えするような口調で断言され、ホウテイシュウは言葉を失った。先ほどからホウジツは事実しか述べていない。何もかもその通りで、そんなことは言われるまでもなく知っていた。
「お前は瑞祥に傾倒しているようだがな、……わかっているなら、あまりあれを皓月宮から出すな。死なれては困る」
 その、あまりにも冷たい言い方に、唇を噛んで俯く。ホウジツはそんなホウテイシュウに興味を失ったかのように視線を手許の書簡に落とすと、ひらりと手を振った。
「お前にはまだ何の役職もない。丞相になるのも、まだ先の話だ。……今はこれ以上話すことなどない」
 立ち去れと態度で示されて、ホウテイシュウはすごすごと執務室から退出した。今の彼には、何の力もなかった。


Prev | Next

Novel Top

Back to Index