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 セツリは美しかった。月明かりを集めたような繊細な美貌、波打つたっぷりとした茶色の髪、とても子どもを二人も産んだとは思えない華奢な身体。表面だけを見ても、彼女はほとんど完璧な美しさを持っていた。だが、ナナイが最も美しいと思っていたのは彼女の内面だった。
 王家に生まれた女に自由はない。王の決めた相手に嫁ぎ、婚礼の日に初めて会う人を愛し支えて一生を共にしなければならない。王女とは政治の道具であり、自由な意思を持つ個人であってはならないものだからだ。例えどれほど美しくとも、その美しさすら彼女のものではない。それを所有するのは彼女の夫だからだ。
 セツリはコウ国の隣国であるチョウハク国の王女のひとりとして生まれ、幼い頃から、いつか嫁ぐ日のことを教えられて育った。他に何人もいる王女たちと同様に、婚約者の地位や名声を競い合う少女時代を送っていた。婚姻相手の価値が自分たちの価値であって、そう教えられてきたし、それを疑う者などいなかった。だから、セツリがコウ国の前王太子、コウヘイカンの許へと嫁いできた時、彼女は嬉しそうに笑っていたのだ。まだ恋も知らない少女は、夫がやがて王になり、自分が国母になることを心底喜んでいた。
 ナナイはチョウハク国の丞相の末の娘に生まれた。王族の傍流に当たり、セツリとは従姉妹の間柄だ。だが、少なくともナナイには選択の自由があった。当時まだコウ国丞相の地位を得ていなかったホウジツに求婚され、彼に恋して結婚を承諾した。ナナイは恋を知っている。お互いに愛情を持って接し合うことを知っている。だから、二十歳も年下の従妹が幸せそうに婚礼を挙げるのを見て、堪らない胸の痛みを感じたのだ。煌びやかな婚礼衣装を纏って夫に寄り添うセツリを見て、このまま彼女が夫に恋してくれればいいと願った。そして、それができないのなら、誰にも恋することなくいてくれればと。
 セツリは恋をしていた。夫を失い、国母の地位を失って、彼女には何も残されなかった。セツリが自らの価値だと信じていたものは、全て彼女の掌をすり抜けてしまった。そうして残された彼女自身は、とうとう自らの価値観の外にいる人を見てしまったのだ。
 セツリが恋していた相手は、この国の王、コウライギだ。きっとセツリ自身はそのことに気づいてもいなかっただろう。彼女が王を見る時の眼差しがどんなに輝いているか、礼儀通りの挨拶をされるだけでその表情がどんなに柔らかく綻ぶか、彼女自身は知らなかったに違いないのだ。
 ナナイにはわかっていた。同時に、彼女の恋心が報われることもないと知っていた。だから、セツリの他愛もない嘘が彼女の心を慰めるとわかっていたからこそ、騙された振りをしていたのだ。せめて見栄でついた嘘でくらい、好きな男に愛されていることにしてあげたかった。
 地位や与えられた価値観に雁字搦めに縛られた心の中に傷つきやすい幼い恋心を抱くセツリの内面が、ナナイにとってはその外見よりも美しかった。
 でも、だから、こんなことになってしまったのだろうか。
「セツリさま……」
 ナナイは館に運び込まれたセツリの遺体を前に、ぽろぽろと涙を零した。
 昔から、誰かのために流れる涙などないのだと言われている。死者を悼む涙は、生きている人間のために流れるものだと。けれど、ナナイはこの涙だけはセツリのために流れているのだと信じたかった。
 年の離れた妹のように思っていた。息を呑むような美しさからは想像もできないほど可愛らしく笑う人だった。地位に縛られていた癖に、地位の劣るナナイを純粋に慕ってくれていた。
 セツリの目が再び開くことはない。真っ白な膚は冷たく固くなり、青褪めた頬は二度と笑みを浮かべない。
「セツリさま……」
 ナナイはセツリを悼んで泣いた。粉々に砕け散ってセツリを殺した彼女の恋心を悼んで泣いた。


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