15


 コウライギが執務を片付けて皓月宮へ戻ると、トールは未だに寝台にいた。
「トール」
『コウライギ……』
 声を掛けると、布団の中からもぞもぞと顔を出す。昼には起きて食事もきちんと摂ったと聞いていたが、あれからまた寝台に逆戻りしていたようだ。どこか羞恥の滲む表情で見上げられ、この顔をライソウハにも見せたのかと思うと眩暈がしそうだった。初夜でもこれほど引きずらなかったトールだが、一晩明けても未だに夜の空気を漂わせている。
 今日がホウテイシュウにもコウレキスウにも会わせる日でなくて良かったと思うべきなのか。
「トール、夕餉にするか?」
 寝台の端に腰を下ろし、黒髪をさらりと撫でる。意識を失ったトールを抱えて湯殿へ行き、髪も身体も洗ってやったのはコウライギ自身だ。その髪の指通りが変わらないことに微笑みながら問い掛けると、トールがこっくり頷いた。
「抱いていってやる」
 そう言って抱き上げようとすると、慌てた様子で身体を引かれる。頬を染めて首を横に振られても可愛いだけだ。
『い、いえっもう立てますから……!』
「お前は吾の恋人だろう。婚礼はまだだから新婚ではないが、だからと言って構ってはならない道理などない」
 笑って言いながら腕を伸ばして布団の中から抱き上げる。コウライギの首に抱きついて恥ずかしげに俯くトールは軽く、コウライギは彼を抱えたまま寝室から出た。
「お前は軽いな。もっと食べた方がいい」
 既に居室には二人分の夕餉が並べられて湯気を上げている。ライソウハの姿がないのは気を遣ったのだろう。
『妾は、妾のいたところでは大きい方だったのですけど……コウライギ、離してください』
 卓についてトールを膝に載せると、流石に恥ずかしさの限界を迎えたのか、さっさと下りて行こうとする。力で勝つのは容易いが、敢えてそっと引き留めようとすると顔を赤らめて抵抗された。
「こんなに小さくて華奢なのにか」
『コウライギが大きいのです』
 ちゅっと頬にくちづけながら笑えば、とうとうトールの唇がぐっと引き結ばれた。臍を曲げられたくなくて手を離すと、一瞬寂しそうな顔をする。そんな顔をするくらいなら膝に乗っていればいいのに、トールの行動は案外複雑だ。
 いつもの彼の席に収まったトールが、手を合わせてイタダキマスと言う。天上の習慣で、食事への感謝の言葉だと、言葉が通じ合うようになってから教えられた。コウライギも真似してイタダキマスと唱え、箸を取る。あまり量を食べられないトールに合わせて控えめながら品数を多く揃えた膳をコウライギもつつきながら、他愛もない会話を交わす。
「遠乗りに連れて行くと約束していただろう? 明後日に決まった」
『どんなところへ行くのですか?』
「王家の領地のひとつで、ヨウコクという。披露目の際に霽日宮の暘谷殿を使っただろう。あそこの名の由来となったところだ。美しく、王族が避暑地として使うことが多かった」
 主菜のひとつ、魚を揚げてから甘辛く煮たものに箸を伸ばしていたトールが首を傾げた。彼のそんな仕草も、言葉が通じ合ってからは見ることが少しばかり減った。
『今はあまり使われていないのですか?』
 その問い掛けに、僅かに胸が痛む。尊敬し慕っていた兄を思い出し、コウライギは頷いた。
「コウヘイカン兄上……前王太子だった兄上が、そこでの事故で亡くなってからは、どうしても足が遠のいてな……」
 努めて何でもない風に言ったが、トールは箸を置いて心配そうな視線を向けてきた。酒壺から酒を手酌で注ぎ、さっと呷ってから、コウライギは安心させるように微笑んだ。
「兄上が亡くなったのは落馬によるものだが、どうも馬が何かに驚いたらしくてな……。本来なら危険など一切ない、平坦な地形のところだ。そうそう事故など起きぬ。それより、ヨウコクからは吾の父上が隠棲している場所が近い。ヨウコクで一日を過ごしてから、お前を父に会わせに行こうと思っているのだ」
『コウライギの、お父上、ですか……』
 心配そうにしていたトールは、父という言葉を出した途端にかちんと硬直した。それが微笑ましく、コウライギは自分の膳からトールの好きなロンエンの実を煮たものを取って彼の口許に押しつけた。素直に食べて頬を緩ませながらも、まだ不安そうにしているトールの頭をぐりぐり撫でてやる。
「王位を退いた王族は好きな領地で隠居暮らしをするのが習わしだからな。それに、そう心配せずとも父上はお前を気に入るだろう。もとより人間を地位や立場で判断することのない方だ」
 だからこそ、大貴族出身の王妃が没してから、平民出身のコウライギの母を後妻にしたのだ。王はあまり自らの子どもと触れ合わないのも習わしのひとつで、コウライギ自身が自らの父親に会ったことも数えるほどの回数しかないが、前王として尊敬はしている。
『はい。妾はコウライギを信じております』
 まだ少し表情が硬いが、トールがほんのりと微笑んだ。そうしてから箸を取って食事をゆったりと口に運ぶ。トールの食べ方は天上の者だからか非常に綺麗で好感が持てるが、昨夜の雰囲気を引きずっているためか今日ばかりは妙に淫靡に見える。
 お互いに食事はもうすぐ終わる。そうしたらそのまま手ずから水菓子を食べさせてやりたい。口移しで食べさせて、果物の汁を舌で拭い、そのままその肌に触れたい。
「……いや、昨日の今日では負担をかけすぎる」
 昨夜は念願叶って彼と完全に繋がることができたが、それでだいぶ暴走した自覚はある。このまま寝台に連れ込みたくなる衝動を堪え、コウライギはきょとんとするトールに何とか取り繕った笑みを見せた。


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