9


 今日は十日に一度の政務を休める日だ。朝議だけは欠かさないが、午前中のそれさえ終わらせれば後は時間がとれる。そのため、コウライギは朝から内心そわそわとトールの動向を窺っていた。彼の気が向くようなら王宮の外へ連れ出してもいいし、一緒に庭園を巡るのもいい。ここのところ少しばかり立て込んでいたものだから、コウライギは癒やしを求めていた。
「トールは何をしている?」
 心持ち足早に皓月宮へと戻ってきたコウライギは、報せを受けて出迎えにやってきたライソウハに問い掛けた。ところが、その答えは妙に歯切れが悪い。
「サーシャさまはお部屋で……その、何かなさっていらっしゃるのですが……」
「何か?」
 首を捻りながらも足は止まらない。塔の階段をのぼり、トールの部屋に到着すると、何の躊躇いもなく扉を開いた。
「トール、戻ったぞ」
「……ん」
 居室の中央にある卓で、トールが一心不乱に筆を走らせている。それに集中するあまりコウライギの存在にも気づいていないのか、生返事だけが返される。意外な反応に思わず瞬くと、茶を用意して後から入ってきたライソウハが苦笑しながらトールの手許から少し離れた辺りに二人分の茶杯を置いた。
「申し訳ありません陛下、サーシャさまは朝からとらんぷ作りに熱中されていらっしゃいまして……」
「とらんぷ?」
 まじまじとトールの手許を見る。彼は長方形に切った硬めの紙に、何か見たこともない記号を描いているようだ。真剣な顔で、一枚一枚を回転させては対象になるように筆を動かしている。
「何でも、天上の遊びだとか……、あの、詳しくは存じ上げないのですが」
 眉を下げて説明しながら、ライソウハは扉まで下がった。
「小人は階下に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」
「うむ」
 ライソウハが退出し、扉が閉められる。コウライギはトールの向かい側の席に座り、茶杯を傾けた。
「……」
 茶杯が空になる。傍に置かれていた茶壺から新たに注ぐ。まだ暖かい茶の香りがふわりと立ち上り、コウライギは手をつけられてもいないトールの茶杯にも少しばかり足してやった。
「……」
 再び茶杯が空になった。トールは未だに作業を続けている。これ以上は茶を飲む気になれず、コウライギは茶杯を目の前からどかした。じっとトールの伏せられた睫毛や、筆を握るほっそりとした指を眺める。
「……トール」
「……ん」
 この部屋に来てから既に半刻は経っている。思わず声を掛けるが、生返事するトールはコウライギの存在を認識していないようだ。
「トール」
「……」
 今度ははっきりと呼び掛ける。だが、トールは反応さえしない。その黒い双眸は一心に手許の紙に向けられていて、コウライギの高揚していた気分はどんどん落ち込んでいった。
「トール、それは何をするものだ? とらんぷというのか?」
「……」
 問い掛けても返答はない。コウライギはぐっと唇を曲げた。
「吾は何かお前を怒らせるようなことでもしたのか? 吾が悪かったなら謝る、理由を話してくれないか」
「……」
 それでもトールはちらりと視線を上げることすらしない。それがまるで拒絶されているようで、ひたすらトールを見つめていたコウライギの目が不覚にも僅かに潤んだ。
「トール……」
『――!』
 トールがコウライギにはわからない言葉で何か言ったかと思うと、ぱっと花が咲いたような笑顔で顔を上げた。
『えっ! こ、コウライギ、いらっしゃったので……そ、それより、コウライギ、泣いていませんか! 何があったのですか』
「……いや、少し目が乾いていただけだ」
『そうですか……?』
「ああ。何でもない」
 席を立って卓を回り込んできたトールに心配そうに見上げられ、コウライギはやや視線を外して頷いた。
「それより、何をしていたのだ?」
 話を逸らそうと問い掛ける。先ほどはよほど集中していたのだろう。今度は無視などすることなくトールが微笑んで卓に広げられたたくさんの紙片を見せてきた。
『これはトランプという、ええと、この紙で遊ぶものなのです』
「ほう。天上の遊戯か」
『天上の……うーん、そうですね。ライソウハと話していて、ここにはトランプがないと聞いたので、コウライギに教えたかったのです。象棋よりは持ち運びも楽ですから』
「そうか。では、教えてくれるか」
 ほっと笑う。そうしてから、コウライギはふとトールの発言に引っかかって首を傾げた。
「象棋。象棋を知っているのか?」
『はい。コウクガイのお部屋で見たのです』
「コウクガイの……」
 眉を寄せたコウライギをじっと見上げ、トールが頷いた。
『昨日、コウクガイのお部屋で昼食をいただいたのです』
 トールによれば、護身術を学んだ後、コウクガイの落とした扇子を拾ったことから昼食に誘われたそうだ。話してもいいものか少し悩んでから、トールはコウクガイが自らを王の器ではない、王位につくべきではないと言っていたことを話した。
『妾は何もお返事できなかったので、言葉がわからない振りをしていたのですけど……とても、ええと、気になっているようでした』
「悩んでいたのだな」
『なやみ?』
「気にして、そのことで考え込むことだ」
『はい、そうですね』
「そうか……」
 黒髪を揺らして首肯するトールの手の中のとらんぷというものを眺めながら、コウライギは次の王位につく者へと思いを馳せる。そして、そんな内心を押し隠すように微笑んだ。
「それは吾が気に留めておこう。悪いようにはしない、安心しておけ。……それより、吾にこのとらんぷというものの遊び方を教えてくれないか。いかにも楽しそうだ」
『はい!』
 頭を撫でながら言うと、トールが嬉しそうに微笑んだ。


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