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 徹がこの王宮に帰ってきてから、十日ほどが経った。瑞祥のお披露目をするということが公表されたそうで、ちょうど一月後のお披露目に向けて、今日からコウレキスウ王子が言葉や立ち居振る舞いを教えるためにこの皓月宮に来てくれるのだそうだ。
『サーシャさま、そんなに緊張なさらなくても……』
「そ、そうですね」
 どちらかというと皓月宮に閉じこもって暮らしてきた徹は、これまであまり多くの人々に会うことがなかった。コウレキスウ王子に会うのは構わないのだが、彼の講義がそのままお披露目に繋がるのかと思うと妙に緊張してしまう。そわそわと何度も扉を見る徹に苦笑しつつ、ライソウハが茶菓子を差し出してきた。
『本当は休憩の時にお出ししようと思っていたのですが……、良かったら召し上がってください。これで少しは緊張がほぐれるといいのですけど』
「申し訳ありません、ライソウハ。ありがとう」
 ひとつひとつが小さな茶菓子を摘まむ。控えめな甘さを好む徹に合わせてあるそれは、確かに彼の緊張を少しばかり和らげてくれるようだ。ほっと肩の力を抜いて、卓に置かれた茶杯に手を伸ばした時、扉の向こうでざわざわと声が聞こえてきた。
「……!」
 途端にびくんと跳ねて固まった徹を困ったような目で見てから、ライソウハが扉へ向かう。先触れが彼に口上を述べるのを聞いて、徹も席を立った。
『サーシャさま、コウレキスウ殿下がいらっしゃいました』
『初めまして、瑞祥』
 ライソウハに先導されてやってきたのは、少し赤味がかった茶色の髪をした少年だ。十二歳だと聞いていたが、背丈はライソウハより少し高いくらいだろうか。彼が自分は背の低い方だと言っていたのも納得できる。
 それでも、ライソウハでさえ徹より僅かに背が高い。徹は間近にやってきたコウレキスウを見上げることになった。彼は徹が今まで会ってきた人たちとは違い、流石に王子様らしいやや煌びやかな服装をしていた。
 口を開いてもいいものか躊躇い、まずは無言のまま礼を取る。すると、同じく礼を返してきたコウレキスウがその凛々しい顔を綻ばせた。
『サーシャさまが既に言葉を学び始めていらっしゃることは、本王子(わたくし)が伺うにあたって陛下から聞き及んでおります。お話しになって構わないのですよ』
 優しげな口調で促され、徹はおずおずと口を開いた。
「初めまして、コウレキスウ殿下。……よろしく、お願いいたします」
『はい。今日から式典の際の儀礼など必要なことをお教えさせていただきますね。こちらこそよろしくお願いいたします』
 例え徹の目からは同じくらいの年齢に見えても、コウレキスウはまだ十二歳のはずだ。それにも関わらず、どちらかといえば口下手な徹よりずっと社交に長けていることがわかる。ここでは十六歳で成人の扱いになるそうだから、内面が成熟するのもその分早いのだろうか。
 ふらふらと視線が下がっていくのを食い止めるように、コウレキスウがにっこりと笑った。
『では、まずは自己紹介から始めましょうか。席についても?』
「は、はい!」
 徹はまだ客人に席さえ勧めていなかったことに慌てて頷いた。
 コウレキスウによると、彼は既に故人となった前第二王子の唯一の子であるそうだ。母親はゲンタンという国の王女のひとりで、その国はどちらかと言うと武術に優れた者が多いらしい。体格に優れ、髪の色は赤味のある者が多いのがお国柄で、だからコウレキスウの髪も少しばかり赤い。
 そういえばシンシュウランも赤毛だったことを思い出して訊いてみると、コウレキスウが面白そうに徹の考えを肯定した。
『よくおわかりになりましたね。シンシュウラン上将軍の家はコウ国でも有数の名家です。王族の血も度々混ざっておりますが、ゲンタン国からの嫁ぎ入れも多かった。だから、シン家の者には赤毛が多いのです』
「そうだったのですね」
 徹は目を丸くした。なるほど、それなら第三王子だったというコウライギの学友であったことも頷ける。
『しかし、ご存知でいらっしゃいますか、シンシュウラン上将軍でもライソウハどのの家柄には適わないのですよ』
「えっ」
 悪戯っぽく微笑まれながら示されて、徹は傍に控えていたライソウハを見た。ライソウハは急に水を向けられて居心地悪そうに肩を竦めている。
「そうなのですか、ライソウハ」
『……はい』
 思わず身体を乗り出して問い掛けると、ライソウハが少し躊躇ってから首肯した。そんな二人の様子に、コウレキスウがくすくすと笑う。そうやって笑っていると年相応に見える王子は、とりなすように徹に声を掛けた。
『ライソウハどのに直接お訊きになっても答えづらいでしょう。ライ家は彼の髪の色が示すように、シン家よりも更に歴史ある名門です。ただ、権力からは随分と遠ざかっていらっしゃいますし、今はライソウハどのが唯一のライ家の方ですから』
 徹は彼の言葉のひとつに気を取られて首を傾げた。何か、気になることがある。何だろう。
 不思議に思ったのが顔に出たのか、コウレキスウが同じように不思議そうに徹を見つめ返す。
『どうかなさいましたか?』
「あ、いいえ、……ライソウハの家について聞いたのが初めてだったので、少し意外だったのです」
 気になることが何なのか自分でも掴めなくて、徹は全く異なる回答だけを返してそっと茶杯を傾けた。


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