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 地方の視察に出ていた丞相、ホウジツがコウ国王都ファンジンに戻ったのは、瑞祥がコウ国に再度降臨してから五日目のことだった。
 これまでの記録をどれほど浚っても、一度天上に戻った瑞祥が再び降臨したという記述はなかった。だからこそ臣民は皆落胆したのだし、コウライギはその責任を負って退位するのではと囁かれていた。それが、天帝が奇跡をお示しになったということで、今や王都ファンジンは沸いている。王と瑞祥が寄り添う姿を描いた絵が飛ぶように売れており、王宮へ向かう道すがらホウジツもそれらを幾つか目にした。
 もともと王はその姿を民衆の前に現すことがほとんどないし、瑞祥に至ってはどんな姿形をしているのかさえ知られていない。馬車に揺られながら、ホウジツは部下に命じて買い求めさせた三枚の絵姿を見て小さく苦笑した。絵姿の中で王の髪は深い茶色に描かれ、瑞祥は王と並び立てるほど背の高い立派な青年の姿をしている。貴色である黒の顔料は存在しないので、瑞祥の髪もまた深い茶色だ。
 この絵姿を見ては本物の瑞祥に会ってもわからないだろうな。そう考えて苦笑する余裕があるのも、ひとえに瑞祥が戻ってきたからだ。実際の効力は大したものではないとはいえ、天災を和らげる瑞祥の存在は、この国にあって得をすることはあっても損にはならない。現に、昔から度々氾濫して人々を悩ませていた大河は、数日前まで氾濫の気配を見せていたが、ホウジツの視察中にすっかり落ち着いていた。
 馬車の揺れが止まり、しばらくしてからまた動き出す。その途端に車輪から伝わる振動が小さくなった。王宮に入ったのだ。
 霽日宮の玉座の間では、コウライギが待っていた。
「ようやく帰ったか、ホウジツ叔父」
「それもこれも、お前が退位すると言い出したせいでな」
「ふ……、そうだな」
 こうして軽口を叩き合えるのも、瑞祥が戻ったことによって王位が安泰となったからである。他に人の姿がないため、ホウジツは気安い調子で苦笑して見せた。
「瑞祥はお元気かな」
「ああ。ホウテイシュウから文が行かなかったか?」
「受け取ったとも」
 頷いたホウジツは、二日前にホウテイシュウから届けられた文の内容を思い返し、相好を崩した。
「またサーシャさまに護身術をお教えするのだと書いていたな。五年間の遊学から戻り、まだ役職を持たないあいつには栄誉なことだ。お前には感謝しているよ」
「吾は昔から体術だけはホウテイシュウに敵わなかったからな。手の空いている適任を選んだまでだ」
 柔らかく微笑むコウライギの表情には、最後に顔を合わせた数十日前の鬱々と沈み込んでいた様子など欠片も残っていない。ホウジツはそんな甥を見て何度も頷いた。
「さて、ホウジツ叔父。ひとつ言っておくことがある。……本王は、トールを王妃にする」
 その言葉に目を見開く。確かにコウライギは瑞祥を王妃にすると言っていたが、それが実現するとまでは思っていなかった。目を丸くしたホウジツへ向けて、コウライギがにやりと笑った。
「災いが転じたな。今なら民草は喜んでトールを受け入れるだろう」
「サーシャさまの合意は取ってあるのか?」
 思わず問いかけると、コウライギは少し複雑そうな顔になった。ぐっと玉座に凭れかかり、頬杖をつく。それが気まずい時の彼の癖であることを、ホウジツはよく知っていた。ついつい眉間に皺が寄るのも仕方のないことだろう。
「……いや、あいつは言葉がわからないからな」
「それはサーシャさまが降臨された時にわかっていたこと。コウライギ、お前この期に及んでもまだ瑞祥に言葉をお教えしないつもりか」
 知らずきつくなる口調で問い質す。王と丞相という立場が逆転して、叔父が甥を叱りつける図となり、コウライギは不服そうに眉を顰めた。
「それは吾の自由だ。……ホウテイシュウの護身術も、問題なく学べていると聞く。身振りで示してやれば、トールは呑み込みが早いからすぐに様になる」
「コウライギ……」
 瑞祥の降臨以来、この甥に会う度に頭の痛くなる思いをしている気がする。ホウジツは深々と遠慮のないため息を吐き出した。
「せめて最低限覚えていただかないと、今後どんな面倒事があっても吾は助力しないからな」
 半ば睨みつけるようにして言うと、ようやくコウライギが降参したように肩を竦めた。
「わかった、わかった。……そうだな、コウレキスウあたりがいいか。最低限の言葉を教えさせる」
「そうだな」
 コウライギの言葉に納得し、ホウジツは頷いた。瑞祥に教えられるほど地位のある者は限られている。コウライギの言う通り、コウレキスウ王子かコウクガイ王子のどちらかが適任だろう。しかし、コウクガイ王子にはまだまだ学ぶべきことが多い。彼には余計な時間を取らせるべきではないだろうと考えると、やはりコウレキスウ王子にその役割が回ってくることになる。
「では、卑職は陛下の婚姻の発表とその準備、コウレキスウ王子の紹介など、段取りをつけて参ります」
「ああ、お前に任せる、ホウジツ」
 最後にこうして臣下としてへりくだって見せるのは、ホウジツとコウライギのいつもの掛け合いのようなものだ。真面目な顔を作って深々と礼をしたホウジツに、コウライギが笑いながら手を振った。


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