後日譚・春秋富


 瑞祥と二人きりで過ごした二晩が明け、霽日宮の寝室から居室に出てきたコウライギの顔色はあまり優れなかった。ようやく成就した王の恋を揶揄ってやるために早朝から参じていたシンシュウランは、彼の浮かない表情を意外に思って首を傾げた。
「おい、どうした、コウライギ。浮かない顔だな」
「シンシュウランか」
 王の住まう霽日宮に断りもなしに入れるのはシンシュウランかホウテイシュウ、あるいはホウジツくらいのものだ。ひょいと片眉を上げたものの取り立てて反応を返さないコウライギに、シンシュウランがますます訝しげな顔になった。
「コウライギ、お前、本懐を遂げたんじゃないのか? もっとこう、脂下がった顔をするなり、浮かれて執務も手につかなくなりするんだと思ったが」
「まあな……」
 肯定しつつもコウライギは深々と嘆息している。いい加減そのはっきりしない態度が気になって、肘で脇腹をつついてやる。どうせ人払いがされているのだ、誰に見られる懸念もない。
「だから、何だよ。言いたいことがあるなら言え。それともあれか、瑞祥を寝台に残して離れるのがそんなに名残惜しいのか。もう外にライソウハが迎えに来ているんだぞ。幾ら名残惜しくとも、この寒い中ライソウハを待たせるんじゃない」
「はぁ……。そうだな、ライソウハを呼んでくれ」
 言いながら、コウライギがまたも深いため息を吐き出した。幼少の頃からの悪友がこんなにも色恋にぐだぐだになるとは思ってもみなかったが、これはつまりそういうことなのだろうか。多少馬鹿にしたような内心が表情に出たのか、コウライギが恨みがましく睨んできた。
「何だ」
「そんなことじゃない。吾とて自らの地位はわきまえている」
「じゃあそのため息の原因を言ってみろ」
「……」
 言い訳めいた言葉にすかさず返してやると黙り込んでしまう。いつまでも埒のあかない目の前のコウライギよりもライソウハの方が気にかかり、シンシュウランはさっさと外に出てライソウハを呼んだ。
 室内に入ってきたライソウハが王に恭しく礼をする。すぐに立ち上がるように言ったコウライギは相変わらず妙に覇気がなく、ライソウハもまた小さく首を傾げた。
「……あの、兄上。陛下はいかがなさったのです?」
 そっと小声で問い掛けられ、シンシュウランは黙ったまま視線をコウライギに投げかけた。本人が答えないことには原因はわからないし、第一これから執務だというのにいつまで落ち込んでいるつもりなのか。抗議するようなシンシュウランの視線を受けて、コウライギが僅かに肩を落とした。ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかという声量で呟く。
「その……トールは一体何歳なのだ? あれはどう年嵩に見ても十四、五ほどだろう。下手をすればもっと幼く見える。……吾はトールに手を出すのを急ぎすぎたのかも知れん」
「あー……それはなぁ……」
 コウライギの発言を受けて、ようやく腑に落ちた。なるほど、一昨日は感動的な再会やらライソウハの処断やらですっかり忘れていたが、確かに瑞祥はどうにも幼い。十六歳のライソウハより華奢なのだから、彼より若いと見てもいいだろう。
 なるほど、成人もしていない瑞祥に手をつけたわけだから、罪悪感もひとしおなのだろう。あと数年待ってやれと言ってやれれば良かっただろうに、可哀相なことをした。
 納得したシンシュウランとは対照的に、ライソウハはきょとんとした顔で王を見ていた。視線が合うと慌てて頭を下げるが、下げた首を更に捻っている。
「どうした、ライソウハ」
「いえ……」
 訊ねてみると、ライソウハが不思議そうにこちらを見上げてくる。それから、ぽろりと言葉を発した。
「あの、サーシャさまは十八でいらっしゃいますが」
 コウライギもシンシュウランも愕然とした顔でライソウハを凝視した。
「十八だと!」
「トールが!」
 二人の勢いに気圧されて一歩下がったライソウハは、それでもこくりと頷いた。
「ええ、以前……言葉をお教えしていた際に……確かに十八だと」
「あれで十八だとは……」
 まるきり子どもに見えるのにそうではなかったということか。世の中には確かに年齢より幼く見える者もいるが、それにしたって幼く見えすぎだ。
 驚き呆れるシンシュウランの横で、コウライギが崩れるように近くにあった椅子に座り込んだ。
「そうか……十八か……」
 王は驚きを通り越してすっかり呆然としている様子だ。ライソウハがいつものように茶の用意を始めながら苦笑した。
「陛下はサーシャさまから伺われていらっしゃらなかったんですね。小人も初めてお聞きした時には驚きました」
「十八……」
 ライソウハの優しい声も彼の耳には入っていない。呆然としつつもどこか安堵が滲むコウライギの呟きを横目で睨んで、シンシュウランは鼻で笑った。
「陛下は瑞祥が十四、五だと思ってお手をつけられたそうだ。いいかライソウハ、陛下には少年趣味がおありのようだからあまり近づくなよ」
「義兄上、何ということを仰いますか」
 困った顔で咎めてくるライソウハの頭を撫でて、シンシュウランもまた椅子を引いて腰を下ろした。コウライギはよほど安心したのかシンシュウランの暴言に文句を言う余裕もなさそうだ。
「まあ良かったな。瑞祥が成人なさっているとわかったことだし、これでいつでも王妃として娶れるだろう」
「そうだな……」
 懸念していたことが解消されて気疲れがどっと出たのか、だらしなく椅子の背凭れに背中を預けたコウライギが、ライソウハに差し出された茶杯をぐいと呷る。
「……言っておくが、吾には少年趣味はないからな。トールだからだ」
「ええ、本当に十四、五でしたら大変なことでしたね。それより陛下、そろそろサーシャさまを起こして差し上げてください。お茶が冷めてしまいますから」
 恨み言を言おうとしたところを遮られ、コウライギはぐっと言葉に詰まると、とうとう降参した様子で立ち上がり寝室へとすごすご引き返していった。
「ライソウハ……」
「え、どうかしましたか?」
 明るい茶色の髪を揺らして首を傾げたライソウハは、今朝一番コウライギに打撃を与えたことには気づいていないようだった。



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