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 玉座のある壇上から陛下と共に広間へと下りた瑞祥は、周りを囲む人々の背の高さに圧倒されたようだった。
 瑞祥より高いとはいえあまり身長の変わらないライソウハはともかく、陛下を始めとする面々は彼よりも頭ひとつ分以上は大きな体格をしている。ほんの数人とはいえこれほどの人数に囲まれたことがなかった様子の瑞祥は、その細い手で陛下の淡い黄色の龍袍をぎゅっと握り締めた。
「サーシャさま、お帰りなさいませ」
『はい。ライソウハ、妾は戻ってまいりました』
 まだ瞳を潤ませてライソウハが微笑む。それに答えを返して瑞祥ははにかんだ。ライソウハが処断されるかどうかの瀬戸際で緊張していたためにすっかり忘れていたが、先ほど皆の目の前でものすごい告白劇を繰り広げていた。それが今更恥ずかしくなってしまったのだろうか。セイショウカンの目から見ても微笑ましかった。
 頬を染める瑞祥を見て何を思ったか、陛下が僅かにふてくされたような顔で徹を抱き寄せる。ライソウハが思わずといった風に苦笑したのも無理ないことだろう。
「トールは本王の王妃にする。ホウジツが戻り次第尚書たちにも通達し、式典の準備を始めるように」
「はっ」
「早急に日取りを見繕わせます」
 シンシュウランとホウテイシュウが袖を払い礼をして承った。
『しょうしょ? しきてん?』
 瑞祥が首を傾げると、ライソウハが心得たように頷いた。
「尚書でございます、サーシャさま。陛下の許で政治を取り仕切っているのが丞相だということは、以前お教えいたしましたね。その丞相の下におりますのが尚書たちでございます。それぞれが各方面の政務を担当いたします」
『ありがとう、ライソウハ』
 頷いた瑞祥に便乗するように、陛下もしたり顔でライソウハに頷きかけた。
「その調子でこれからも頼む。……それから、今宵と明日の宿下がりを許す。シンシュウランのもとでゆっくりしてくるがよい」
「陛下、それは……」
 言いかけたライソウハが顔を赤らめる。そのライソウハを背後に隠すようにして陛下に向かっていったのはシンシュウランだった。
「おいおいコウライギ、ライソウハの前で何を言うか」
「お前こそ何を言う。ライソウハならもう成人しているだろう」
「そういう問題じゃねえよ、吾の可愛い義弟だぞ」
「トールは吾の王妃になるのだ、その側仕えが今から慣れておかなくてどうする」
「吾はライソウハに妙な知識を与えたくないだけだ。そういうのはもっと隠してくれ」
 対等な口調で言い合う陛下とシンシュウランはお互いの立場も忘れている様子だ。王宮を抜け出しては街で悶着を起こしていた少年時代を思い出してセイショウカンはこめかみを抑えた。
 あの頃、コウライギはシンシュウランとつるんで部屋で本を読もうとするホウテイシュウから本を取り上げて度々街へ繰り出して来たものだ。平民であったセイショウカンはそこで彼らと知り合ったのだが、当時偽名を名乗っていたコウライギがまさか第三王子だとは知らず、どこかの世間知らずな貴族の子弟たちだとばかり思っていた。何しろ彼らは賭博にも娼館にもどんどん飛び込んで行くものだから、彼らよりひとつ年上のセイショウカンはその尻拭いばかりしていた。
「……はぁ」
 ため息が重なる。横を見ると、彼と同じようにホウテイシュウが嘆息していた。カクウンチョウはいかにも面白そうに彼らを眺めているばかりだ。
 ここしばらくはチョウハクに遊学に出ていたが、ホウテイシュウも被害者の一人だ。無理矢理連れて行かれた娼館で娼婦に押し倒されてほうほうの体で飛び出してきたのを助けたこともあるので、彼もまた当時のことを思い出していたのだろう。
 きょとんとして陛下とシンシュウランを交互に見やる瑞祥とライソウハは事情を知らない。いっそ彼らに二人の悪行の限りをぶちまけてしまいたいほどだが、流石にそれをする訳にもいかないだろう。何より、陛下の昔の娼妓遊びが知られて瑞祥との仲が拗れてもいけない。
「……オウヨウコウ、オウヨウシン」
 二人がよく使っていた偽名をぼそりと呟いたのはホウテイシュウだ。途端に誰より慌ててそちらを振り返ったのは他でもない、コウライギだった。
「ホウテイシュウ!」
「いえね、国王陛下と上将軍閣下のやり取りに何だか懐かしくなったものですから」
 涼しい顔でのたまったホウテイシュウに、王と上将軍は苦い顔で黙り込む。陛下とシンシュウランとホウテイシュウ、この三人のことは昔からよく見てきただけに、翻弄されるばかりかと思っていたホウテイシュウこそが怒らせると一番怖いということもよくわかっていた。
「後で詳しい話が聞きたいな」
「いいとも。旨い酒が飲みたいな」
「ああ、そのくらい安いものだ」
「セイショウカン、お前な……」
 何かを察したような顔で、カクウンチョウが囁きかけてきた。含み笑いで答えると、途端にシンシュウランが困りきった表情を向けてくる。
「何でしょうか、上将軍閣下」
「……何でもない。何でもないから、せめてほどほどに頼む」
「気に留めておきます」
 ホウテイシュウと同じようににっこり微笑んで見せると、今度こそシンシュウランは降参したようだった。
「ええい、いいからお前らはもう帰れ。吾はトールと共に皓月宮へ行く」
 過去を思い出させられて分が悪くなったのか。ともあれ、陛下が宣言したことによって、その場に居た面々は半ば苦笑混じりに玉座の間を辞すことになった。
「サーシャさまは大丈夫なのでしょうか……」
 ぞろぞろと皆で回廊を歩いていると、ライソウハがぽつりと呟いた。今夜のことを察して恥ずかしそうにするライソウハはともかく、瑞祥は陛下の意図には気づいてもいないようだった。懸念はわかる。
「まあ、何とか……なるだろう」
 言葉は濁したが、数年前までのコウライギは事情があって荒れていたこともあり、百戦錬磨と言っても過言ではない。瑞祥に怪我をさせることもないだろうし、それほど心配しなくてもいいはずだ。しかしライソウハにその理由を言うわけにもいかず、セイショウカンはそっと苦笑した。



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