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 トールが再び現れるような予感はしていた。それが今日この時だということも、何故だかコウライギにはわかっているような気がしていた。
 玉座の間には上将軍シンシュウランと彼の腹心であるセイショウカンとカクウンチョウ、ホウテイシュウとライソウハが揃っていた。あいにく丞相のホウジツは地方の視察に出ていてこの場にはいない。ホウジツの息子であるホウテイシュウとの仲はトールの消失以来あまり良いものではなかったが、それでも彼を信頼して護身術の講師を頼んでいたこともあり、ホウジツの代理として呼んであった。
 彼らを集めたのは他でもない、トールのことも含めた今後について話し合うためだ。
 もしもトールが帰って来ないと決めたのだとしたら、それがコウライギによる王政に終止符を打つことになる。この決意を、コウライギはまだ公には発表していなかったが、この場に居並ぶ面々にはっきりと告げていた。
 コウライギが退位する場合、彼の後を継いで王になるのは、王族ではあるものの王位継承権を放棄したホウジツではなく、まだ十歳のコウクガイ王子となる。コウクガイ王子は王太子と呼ばれてはいるものの、実際にはまだ成人を迎えてはいないため立太子が済んでいない。対して、前第二王子の遺児コウレキスウ王子は既に施政者としての才能を見せており、更にコウクガイ王子より二歳年上でもある。それらの要因が、コウライギが去った後にどのような波乱を呼ぶかは計り知れなかった。
 だから、何より軍部と行政双方からの支持を固めてやる必要があった。
 話し合いを進めていたコウライギは、ふと近くに気配を感じて振り返った。玉座からそれほど離れていない柱のあたりに、以前見たのと全く同じ扉が出現していた。
 ゆっくりと、その扉が開く。
「トール……」
 今度は躊躇わなかった。つかつかと扉に近づくと、コウライギはしっかりと扉の向こうにいるトールの腕を掴んだ。彼を無理に天上から地上に引き込むためではない。誰が触れていなくともこの扉はひとりでに閉まったことがある。トールが最初に出現した時も、扉越しに再会した時もそうだった。だが、今度は勝手には閉じさせない。そのためだ。
『こ、コウライギ! 駄目だよ、もし何かあったら……』
 トールもこの扉が勝手に閉じてしまう危険性を察しているからだろう、慌てた様子で彼の腕を掴んだ手に触れてくる。数ヶ月ぶりに直接触れた体温に頬を緩ませ、コウライギは優しく頷いた。
「扉が消えてこの腕が千切れたとしても構わない。それよりも、お前を失うことの方がよほどつらい」
 はっきり告げると、目の前のトールが息を呑んだ。その黒々とした双眸がたちまち潤んでいく。
「聞いてくれ、トール。前にお前に問われて答えられなかった、あの時の答えを。……吾はずっと、何度でも、言葉によって裏切られてきた。昔初めて恋を知り、淡い恋心を告げた相手にまで嘘をつかれ裏切られていたと思い知らされた時から、人を信じることが心底怖くなった。嘘や裏切りだけでなく人間そのものを憎んだ。……だから、吾は恐れたのだ。お前を信じることまでも吾には怖ろしかったし、言葉が通じないからこそ安心できる気になっていた。傷つきたくなかったのだ」
『……うん』
 コウライギの腕を気にしていたトールが、しっかりと彼を見て頷いた。今にも泣き出しそうな表情をしているのは、信じて貰えなかったからだろうか。あるいは、コウライギの過去を憐れんでのことだろうか。どちらでも構わなかった。
 トールに真心で向き合えること、それ以上をコウライギは求めていない。
「吾はお前に惚れている、トール。嘘をつかれても裏切られても構わないと思えるほどには。トール、お前を愛している。だから、お前の意思を知りたい。これまでずっとお前の考え方も意思も何もかも知りたくなかったし、知ることを怖れていた。今、こうしてお前と言葉を通じ合わせることができて、吾は嬉しい」
 じわじわとトールの頬が染まる。それを見つめられることをコウライギは喜んだ。少し俯いた彼の頬に、長くなった髪がさらりと落ちる。
『コウライギ……、僕は、あなたが好きです。だけど、だけど……』
 ぽろり、と彼の柔らかな頬に涙が伝った。顔を上げてこちらを見つめてくるトールが何を言うのかはわからない。コウライギは内心で覚悟を決めた。
 前に会った時、彼は天上には家族がいると言っていた。トールに言われるまで、それを全く考慮していなかったのはコウライギの方だ。天帝から遣わされているのだからと、そんなものが彼にあるとは思ってもみなかった。
 誰しも家族は大切なものだ。それが争いも憎しみも何もない天上のものであれば、尚更のことだろう。どれだけ彼の帰還を望んだとしても、自分のために家族を捨てろと言うことなど出来ない。
「思うことがあるなら言ってくれ、トール」
 どんな答えを出されても、それを受け入れる。再び心に誓って、コウライギは彼に微笑みかけた。
『コウライギには……セツリさまが、居るんじゃないんですか……?』
「セツリどのが……?」
 だから、予想もつかないことを言われて思わず呆けた顔をしてしまったのは、仕方のないことだろう。コウライギはぱちりとひとつ瞬きをしてから、ゆっくりと首を横に振った。
「セツリどのは、吾の兄上の妻だ。それ以上でもそれ以下でもない。吾は決して嘘はつかない。吾が想っているのはただ一人、トールだけだ」
 そう言い聞かせると、今度はトールの方がきょとんとした顔になった。それから、その頬どころか首まで真っ赤に染まっていく。
『コウライギ……ほ、本当に、僕のこと、好き……なんですか』
「ああ、好きだ。愛している。お前が必要だ、トール。吾と一生を共にしてくれないか」
『……っ』
 今度こそトールがはっきりと頷いた。ぼろぼろとその両目から涙が零れ落ちるのを目にして、とうとうコウライギは掴んだままのトールの腕を強く引き寄せようとした。
『コウライギ……!』
 それより一瞬早く、トールが扉を越えて彼の胸に飛び込んできた。ぎゅっと強く抱きつかれて、コウライギもまた彼の身体を抱き返す。
『ごめん、父さん、母さん……ごめんっ! 僕、僕はコウライギのことが――』
 泣きながら呟いたトールの背後で、扉が閉じて消えた。



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