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 ここのところ、ライソウハは顔を合わせる度に陛下の話ばかりしている。今日もそうだ。
 謹慎が解かれてから一時は北方に戻って平定のために奔走していたが、今は後任に引き継いで王都へ戻っている。いつまた次の遠征が入ってくるかわからない中、なるべく時間を作ってはライソウハに会いに来ているが、その度にライソウハは陛下のことばかり話題にしていた。
「どうやら陛下はサーシャさまにお会いできたようなんです」
 そう言いつつ、ライソウハが卓の真ん中に手作りの茶菓子を置いた。話を聞きながら手を伸ばす。少し甘さを控えめにしてあるからか、後味はしつこくなく、つい幾つも食べてしまいそうになる。あまり行儀の悪い真似はできず、相槌を打ちながらも伸びそうになった手で茶杯を取って一口啜った。
「やはりお戻りいただけなかったようで、数日ほど少し落ち込んでいらっしゃるご様子でしたが、今はすっかり落ち着かれていて、本当に安心しました」
 にっこり微笑むライソウハの表情は明るく、彼が言葉通り本当に陛下を心配していたことが伝わってくる。セイショウカンは内心にこみ上げてくるもやもやした気持ちを抑え、ぎこちなく笑い返した。
「それは……良かったな」
「ええ、本当に! 陛下もとうとうご自分のお気持ちを認められたようで……」
 陛下、陛下、陛下。瑞祥の側仕えであるライソウハが瑞祥のことを気にするのは当然だとしても、それにしたって陛下の話ばかりし過ぎではないだろうか。
「陛下の……いや」
 うっかり内心を口に出しそうになって、セイショウカンは慌てて茶杯を傾けた。がばがば飲んでしまったからか、中身は一口分も残っておらず、セイショウカンは少しばかり渋い顔で茶杯を卓に置く。
「陛下がどうかなさったのですか?」
 首を傾げつつ、ライソウハが茶を注ぎ足してくれた。まさか思っていることを言うわけにもいかず、微妙な笑顔を取り繕ってひとつ咳払いをする。
「あー、その、陛下がサーシャさまとお話された際に何か仰られたとか、そういうことだろうかと訊きたくてね」
 焦ったあまり適当にでっち上げると、ライソウハは泣き黒子のある目許を綻ばせて身を乗り出した。
「ええ、陛下はとうとうサーシャさまにご自分のお気持ちを打ち明けられたそうなんです。確かに陛下はサーシャさまにひどい仕打ちをなさいましたが、そのことも後悔なさっていると話してくださいました。やはり陛下は優れた人格者でいらっしゃいます」
 だから、何故そうやって陛下のことを褒めるのだろうか。それに、陛下から直接聞いたような口ぶりでもある。瑞祥の側仕えであるとはいえ、一介の使用人がそうそう気易く王と口をきくものだろうか。
 気になり始めるときりがなく、セイショウカンは眉を寄せて茶菓子を口に運んだ。ほのかな甘さが広がるが、それはセイショウカンの内側の奇妙な苛立ちを和らげるほどではなかった。
「陛下とは……、その、よく話すのかな」
 問い掛けてみると、ライソウハは少し照れたような顔で頷いた。
「以前はほぼ全くなかったのですが、その、我が一度陛下に直訴したことがありまして……。それに、我も天上のサーシャさまにお会いできましたし、それをきっかけに、誰よりサーシャさまの側にいたのだからと我に色々お話してくださるようになりました」
 それがきっかけで、使用人と王とが仲良く話せるようになったということか。
 彼の言っている意味は理解しているものの、どこか釈然としない思いでセイショウカンは唸った。再び茶杯を取って一口飲む。飲み過ぎた茶で腹が水っぽい気がする。陛下のことから意識を切り替えるべく、セイショウカンは瑞祥について訊くことにした。
「瑞祥はお戻りになるのだろうか」
「そうですね……あれからお会いできていないので、正直なところまだわからないのですけど。でも、サーシャさまはあの扉越しなら陛下と言葉が通じたとのことでしたので、陛下の真摯な態度とお言葉があれば、きっとお戻りいただけると信じております」
 瑞祥のことを訊いたはずが、結局は陛下を褒めている。腹の中のもやもやをどうとも致しかねて、セイショウカンはとうとうはっきり尋ねることに決めた。
「ライソウハ、君は……その、陛下のことをどう思っているのだ」
「我ですか?」
 ライソウハがきょとんと目を見開いて首を傾げた。
「陛下のことでしたら、最初は何て酷い方かと思っていましたけど、今ではすっかりそれが誤解だとわかっております。素晴らしい方だと思いますし、陛下ご自身は否定なさいますが正しく王の器をお持ちだと思いますよ」
 そしてライソウハは笑顔のままで言った。
「今では、陛下のことは義兄上と同じくらい尊敬できる方だと思っております」
 その一言はセイショウカンに大きな打撃を与えた。
 ライソウハ自身はもう覚えていないかも知れないが、昔、まだ十歳だったライソウハに、シンシュウランが好いた女子などはいないか、どんな相手を伴侶にしたいかと尋ねたことがある。その頃すっかりシンシュウランに傾倒していたライソウハは、いつかシンシュウランと同じくらい尊敬できる人に出会ったらその人を伴侶にしたいですと答えた。それをシンシュウランの横で聞いたセイショウカンは、良い考え方だと彼を褒めたものだった。
 シンシュウランと同じくらい尊敬できる人を伴侶にしたい。例えライソウハ自身が忘れていたとしても、その一言はセイショウカンの中にずっと残っていた。
「そうか……」
 言ったきり絶句したセイショウカンを不思議そうに見ていたライソウハは、ふと何かを思いついた顔で悪戯っぽく微笑んだ。
「でもセイショウカンさま、我はセイショウカンさまのことも、義兄上と同じくらい尊敬できる方だと思っておりますよ」
 その後、皓月宮を辞したセイショウカンは一日をどうやって過ごしたか覚えていない。部下たちからは翌日になってから訓練が厳し過ぎたことについて随分文句を言われた。



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