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 文化祭はそれなりの盛況ぶりを見せて終わった。生徒会の催しもなかなか好評だった。旧生徒会役員の中で参加したのは徹だけだったが、新役員たちが明るく笑い合っているのを見守るうちに二日間の開催期間は幕を下ろした。
 準備室のドア越しにライソウハに再会してから、もう一ヶ月が経つ。夏を引きずるような暑さはすっかり鳴りを潜め、夜には肌寒さを感じるようになってきた。
 帰ってきてから一度も切っていない髪は、そろそろ肩につきそうになっている。風紀委員あたりから何か言われるかと思ったが、先日廊下で鉢合わせた風紀委員長からは何か願掛けでもしているのかと訊かれただけだった。困って首を傾げると、苦笑して立ち去っていった。あと半年足らずで卒業してしまうし、出席自体もほとんど必要なくなっているから、いちいち目くじらを立てることもないと思ったのだろう。
 あれから徹は少しだけ気持ちを持ち直した。またあんな機会が巡ってきたとして、こことあの塔のどちらを選ぶかは、まだ決めかねている。だけど、少なくとも行き来の可能性が見えたことによって、徹はようやく周囲に対して真摯に向き合うことが出来るようになった。
 どちらを選んだとしても、それは徹自身の選択だ。他人のせいにして後悔だけはしたくない。
 最近少し元気を取り戻した徹に、両親は深く安心したようだった。無口な父親でさえ、悩みがあるのならしっかり向き合えばいいと言ってくれた。今まで徹の進路について何かと口出ししてきていた母も、何かやりたいことがあるなら相談して欲しいと話していた。
 だけど、こんなことを相談できるだろうか。こことは別の世界があって、まだ決めかねているものの、二度と会えないかもしれないところへ行く可能性があるだなんて。
 心はコウライギに惹かれてはいても、家族のことを考えると躊躇ってしまう。
 迷いながらも、とにかく家族との時間を大切にすると決めていた。先週末は父の趣味に付き合って釣りに行ってみたし、母がキッチンに立てばそれを手伝ってもみた。前よりも少しだけ両親との会話が増えるにつれ、どれだけ彼らに愛されているのかを実感するようになった。
 何となく流されて暮らしていたから、両親もただ徹に理想を押し付けているだけなのだと思い込んでいた。それがただの思い込みだとはっきり悟るのに、それほどの時間は必要なかった。これだけの愛情を注がれておいて、それに対して全く無感動だった自分を恥じた。
「徹、あと少しでいいから食べてみて」
「……うん」
 食欲はそれほど戻っていないが、それでも帰ってきた最初の頃よりは食べられるようになった。少なくとも、そう努力している。
 母に促され、箸を伸ばしてもう一口食べる。食べ慣れた母の料理の味付けは外で出されるものよりも少し薄味で、ほんのり優しい。何も言わずにこちらをちらりと見る父の素振りからも、食事の量を気にされていることがわかる。
「ね、徹。今日はデザートもあるの。食べてみる?」
「……うん、いただきます」
 頷くと、ぱっと顔色を明るくした母がいそいそとキッチンに立った。お盆に載せて持ってきたのは子どもの頃からよく食べていた牛乳プリンだ。もともと表情の薄い子だった徹も、これを食べると笑顔になったものだ。
「おいしい……」
 昔から変わらない味に強く保とうとしていた心が揺らぐのを感じて、徹は微笑もうとした。ぎこちない笑みを浮かべる頬が引きつりそうになる。ぽろり、と何故か突然涙が零れて、慌てて俯いた。
「徹……」
 両親はこんなに愛してくれているのに、こんなに良くしてくれているのに。
 それなのに、コウライギに会いたいだなんて。家族よりも、彼の傍に居たいと思ってしまうなんて。
 もしも自分が彼を選んでしまったなら、もう二度と両親に会うことはない。きっと、この直感は外れないのに。
「な、何でもないんだ。……ごめん」
 食べかけの牛乳プリンを置いて、食器を下げもせずに慌てて食卓を離れる。部屋に逃げ帰る徹を心配して立ち上がる音、それを引き留める父の声を全部後ろに置いて、徹は泣きながら二階へと駆け上がった。
 ガチャ。
 二階に上がってすぐ左手にあるドアの向こうが、徹の部屋だ。何の躊躇いもなくドアを開いて、息を呑んだ。
『トール……』
「……コウライギ……」
 視線の先にコウライギがいる。以前何度か連れて行かれた、玉座のある大きな広間。コウライギの他には誰もいないそこの中央に、徹はいた。



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