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 陛下にご報告したいことがあると言ってライソウハが駆け込んできたのは、瑞祥の消失から三ヶ月が経ったある日中のことだった。
 折しも霽日宮で軍機処からの報告を上奏していたシンシュウランは、泣きながら現れたライソウハにひどく動揺した。
「ライソウハ! どうした、何かあったのか」
「義兄上……我は、我は、陛下にご報告しなければ……陛下……!」
 拭ったそばから次々と新しい涙を溢れさせて、ライソウハは王の前に跪いた。これにはコウライギも驚いたようで、ここのところ精彩を欠いていた彼もそれを忘れたようにすぐさまライソウハを立ち上がらせた。
「何かあったか。申してみよ、ライソウハ」
 頷いて立ったライソウハは、しゃくりあげそうになるのを必死に堪えている。手には見慣れない白い紙を握っていた。
 かわいい義弟に何があったか心配で堪らず、一応沈黙は守っているもののシンシュウランは懸念も露わに義弟をじっと見つめた。
「陛下……小人は先ほど、サーシャさまにお会いしました」
「トールに」
 言ったきりコウライギが絶句する。シンシュウランもまた、驚きのあまりぽかんと口を開けた。
 瑞祥は既に天帝に呼び戻され、天上にいるはずだ。あのことがあってから王だけでなくシンシュウランも瑞祥の伝承について調べている。確かに過去にも天上に帰ってしまった瑞祥の記録はあった。だが、帰ってしまった瑞祥はその後二度と降臨せず、また、その頃の王であった者は臣民からの信望を失い、すぐに何らかの理由で王位を退いている。
 コウライギにしてもそれは同じことだろうと、既にこの三ヶ月で話し合っていた。コウライギが退位した場合、その後を引き継ぐ王族が充分な年齢に達していないことだけが懸念であって、そうでなければとうに彼は玉座を明け渡していたはずだ。
 だが、ライソウハは瑞祥にお会いしたのだと言っている。もう二度と戻らないはずの瑞祥に。
「詳しく……話してみろ」
 そう言うコウライギの声は僅かに震えていた。ライソウハが何度も頷く。
「皓月宮のサーシャさまのお部屋に、突然、見たこともない扉が現れました。その向こうに、サーシャさまがいらっしゃったのです。陛下がご心配なさっていることをお伝えすると動揺していらっしゃるようでした。しかし、サーシャさまからお返事をいただくより早く、どなたかがサーシャさまを探しにいらっしゃって……扉が閉じてしまい、その扉そのものは跡形もなく消えてしまいました」
 瑞祥と話したと言うライソウハに、シンシュウランはさっと青ざめた。王の命令に逆らうことは重罪だ。幾ら非常時とはいえ、こうも堂々と瑞祥が言葉を理解することを言って、ライソウハは無事で居られるのか。言葉を教えなければ、話が通じるはずもないのだから。
「……トールと、話したのか」
 案の定、王もまたそれに気づいたようだ。低く問い掛けられて、ライソウハは涙の残る頬ではっきりと頷いた。
「あの扉があるところでは、言葉も通じるようなのです。……実際に、サーシャさまを探しにきた少年の言葉も、小人は理解することができました。確か、サッシャーキ先輩、と、サーシャさまのことを呼んでいらっしゃいました」
「それは……!」
 コウライギが驚いて目を見開く。それから、泣き笑いのような表情で微笑んだ。
「そなたの言っていることは、真実なのだろうな……。そなたは見ていないから知らなかっただろうが、最初にトールが降臨した時も、見慣れない扉が何もない草原に現れた。それに、トールの本名はサーシャではなくサッシャーク・トールだ。あれが名を名乗った時、聞いていた者は吾以外にいない」
「では、やはり夢ではなかったのですね……。これは、サーシャさまとお相手した際にサーシャさまが落とされたものです」
 ライソウハが手に持った紙を差し出す。見たこともない文字もそうだが、紙そのものも初めて見る白さだ。王の使う紙ですら、ここまで白くはない。一目見ただけでそれが天上のものであるとわかった。
「トールが……」
 その紙を手にとって、王は微笑んだままそっと顔を伏せた。その頬に濡れたものが伝うのを認めて、シンシュウランもライソウハもそっと顔を逸らした。
「そうか、トールが……。トールは、元気そうにしていたか……?」
 涙の混じる声に動揺しながらも、ライソウハははいと肯定した。
「少しお痩せになっていましたが、お元気そうでした。……陛下のことをお気にかけていらっしゃっるようだと、小人は思います」
「そうか……」
 呟いたきり手許の紙を見つめて動かなくなったコウライギは、静かに涙を流していた。
「……ライソウハ」
 退出するようにそっとライソウハを促す。唇の動きだけではいと答えたライソウハと共に霽日宮から出て、シンシュウランは衛士にしばらく誰も通さないように言い含めた。
 何もかも諦めたようなことを言っていたが、やはりコウライギには彼が必要なのだ。瑞祥ではなく、サーシャというひとりの少年が。
「恋とはまこと、厄介なものですね」
「知ったような口をきく。……まあ、あいつも不器用だからなあ」
 しみじみと呟いたライソウハに苦笑し、二人は連れ立って歩き出した。



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