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 あの王宮から戻ってからの二ヶ月を、徹は無為に過ごしていた。
 六月下旬に生徒会選挙は滞りなく行われ、メンバーは徹を含めて全員入れ替わった。高校三年生になっていた生徒会長と徹が生徒会役員から外れるのは当然のことだったが、今年二年生に上がった副会長や会計までもが役員を継続出来なかったことについては特に驚きはなかった。詳しい事情までは知らないが、ほとんど生徒会室にも顔を出さなくなっていたのだから当然とも言える。
 薄情なのはお互い様だ。元生徒会メンバーを惜しむことはなかったが、役員でなくなったからにはもう生徒会室に自由に出入りできない。給湯室から再びあの世界へ迷い込む可能性はもうないのだ。それを思うと徹の心中はますます空虚なものになった。
 生徒会選挙の翌日には、徹はこちらの暦でも十八歳になった。家族や学校の生徒たちに祝われたが、徹の表情は晴れないままだった。食欲もやる気もどこかへ消えてしまったようで、だんだん痩せて表情も暗くなっていくばかりの徹に対して、家族を含む周囲の人々は次第に腫れ物に触るような扱いをするようになった。空元気を出そうともがいたこともあったが、結局どうにもならなくて、一ヶ月もする頃には明るさを装うことさえ諦めてしまった。
 身が入らないながらも期末試験を終え、自宅に帰ればしばらくは学校へ行くこともなくなる。夏休みに入った徹は、頻繁に図書館へ通うようになった。以前の徹は落ち着いて勉強するために図書館へ通っていたものだ。両親も一応はそう信じているが、今の徹は勉強とは関係のない本ばかり読んでいた。
 異世界へ迷い込むような小説や物語は探せば幾らでもあったが、そもそもそれらはフィクションだ。参考になるはずもないのに、ついつい本棚に手が伸びてしまう。
 物語の中で、主人公たちは様々な方法で異なる世界へと旅立っていた。召喚される者もいれば、隠れていた箪笥の衣装の向こうに別世界を見つける者もいる。
 だけど、徹の場合は給湯室だった。もうあそこに行く機会もない。やはりもう可能性はないのだろうか。この二ヶ月のあいだに何度も考えたことをまた思って、静かな図書館でひっそりとため息をついた。
 夏休みはそろそろ終わりに近づいている。そうしたら、受験まではあとほんのわずかだ。何となく向いているからという理由で文系を選択していたが、今になっても自分が大学で何らかの科目を専攻する姿が思い浮かばない。それよりも、これからコウライギに会わないまま過ごしていかなければならないことの方が気にかかった。
「貸し出しをお願いします」
 今日もまた、何冊か見繕ったファンタジーものの小説をカウンターに置く。ピッピッというバーコードの音と貸し出し期限日を聞いて、本を鞄に入れた。
 図書館を出ると、途端に夏の暑さが降り注いでくる。騒々しい蝉の鳴き声、傾いてはいるもののまだまだ強い陽射し。夏休みとはいえ平日の昼間に道を歩いている人は少なくて、たまらない孤独感に襲われた。
「……コウライギ」
 ごくごく小さく呟いて、そっと喉元を抑える。学校へ行くわけでもないのについつい学ランを着てしまうのは、詰め襟のこの服ならコウライギに貰った首輪をしていられるからだ。
 最初の二週間ほどは外して引き出しにしまい込んでいた首輪だったが、時が経つにつれて寂しさが増していき、とうとう自分から進んで身に着けてしまった。犬扱いを喜んでいたわけではない。だけど、あの塔で過ごした日々が夢だったのではと疑う度に、この首輪の存在は徹の気持ちを和らげてくれた。
 離れているのだから記憶は薄れるはずだ。それなのに、コウライギに会いたい気持ちが募る一方であることに徹は困惑した。単純にコウライギが徹を保護してくれたから、兄のような存在だったからだと思っていた。徹にとっての彼の存在がそれだけではないことに気づいたのは、一学期終業の日に普段あまり話さないクラスメイトから恋でもしているのかと訊かれたためだ。
 もしかしたら、この気持ちは恋なのかもしれない。少しばかり信じられない気持ちでそう思うほどに、コウライギの大きな掌や目を細める笑い方が恋しくなった。
 徹はとぼとぼと自宅を目指して歩いていく。ずっと浮かない顔で、時々遠くを眺めては嘆息する徹を、両親はいつものように心配するだろう。そう思うと申し訳ないばかりか気が重く、足取りも自然遅くなる。
 たぶん、ひと月ほど前までなら、どちらかの世界を選べる機会を与えられたとしてもここを選んだかもしれない。
 だけど、今なら。今だったら、異なる選択をしてしまうかもしれなかった。



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