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 あの日、コウライギに寄り添っていたセツリの姿が忘れられない。徹は既に何度も反芻した光景を再び思い出し、憂鬱なため息を零した。
 金色の美しい髪を豪奢に垂らしたコウライギと、そのすぐ傍らで彼に縋るような視線を向けていた、儚い美しさを持つセツリ。緩やかに波打つ濃い茶色の髪はコウライギとの対比を見せるように美しく、徹の目からも似合いの二人に見えていた。あの二人が並んでいる光景に、何故あんなにも心乱されてしまったのだろうか。
 コウライギは相変わらず就寝時にちょっかいを出してくるとはいえ、それは性的ではない範囲のものだ。彼を兄のように思っているはずの徹が過剰に反応してしまっているだけで、コウライギ本人からは決定的な何かをされたこともない。だから、徹にとってのコウライギは兄でいいはずだ。それでも、あの光景は何度でも徹の気持ちを乱した。
 ここのところ、徹は主体性もなく流されてばかりの人生を送ってきたことをはっきりと自覚したばかりだった。もちろん自分自身でも薄々気づいていたが、それを問題だと思ったことはなかった。
 両親や、学校の先生や、あるいは周りのクラスメイトたち。彼らが促すままに特にはっきりとした望みもなく進学し、言われるままに暮らしてきた。生徒会に入ったのだって特に何かを成し遂げるためではない。周りが勧めるから立候補してみて、当選したから自分の役目を果たしていただけだ。だから、生徒会の面々が彼らの役割を放棄し始めた時も、徹は自分の仕事だけをして他には何も働きかけなかった。深く考えるのは面倒だったし、彼にとってはどうでもいいことだったから。
 あの誘拐事件の時になって初めて、徹は流されることに対する問題意識を持ったように思う。コウライギのもとへ帰りたいと、あの時は確かにはっきりとそう思った。結果的にコウライギが迎えに来てくれたとはいえ、そのために屋敷から逃げ出そうとしたし、それは徹自身が選択したことだ。
 だけど、それも果たして選択の結果だったのか、今の徹には解らないでいる。
 他に頼れる人がいなかったから、元いた学校へ帰れないから、消去法でコウライギを選んだのではないかと、徹は自分を疑っている。
 もしも、帰ることが出来たとしたら。
 そうしたら、自分はそれでもコウライギを選ぶのだろうか。
 そうやって考え始めると、途端に怖じ気づいてしまう。徹にとってコウライギとは、果たして兄のような存在なのだろうか。あの少し横柄な王様は、何を思って徹に優しく笑いかけてくれるのだろう。
 コウライギの傍らに寄り添うセツリを見て動揺したのは、彼女が彼によく似合っていたからだった。その光景を、徹は決して期待していなかった。それはつまり、コウライギの傍に立つのが自分でありたいという願望に基づいているのではないだろうか。だが、自分はコウライギにとって何の役にも立たない、ただの少年でしかない。せめて何か彼の役に立てたのなら、少しは彼の傍に並ぶ自信も持てたのに。
『サーシャさま、陛下がいらっしゃいましたよ』
「あ……」
 深く物思いに沈んでいた徹は、ライソウハに声を掛けられてはっと我に返った。自分でも気づいていなかった何かに触れてしまいそうになっていた。
 まさか。そんなことは。
 内心で否定しながらも徹は動揺している。ライソウハが怪訝そうな顔でこちらを見るのに対してぎこちなく笑みを返したところで、扉が開いてコウライギが姿を現した。
『トール、吾と少し歩くぞ』
 機嫌の良さそうなコウライギを見て、セツリと何かあったのかと咄嗟に推測してしまってから徹は慌てて視線を落とした。自分は何を考えてしまっているのだろう。
 慣れた手つきで首輪に金の鎖を付けられ、コウライギに促されるまま部屋を出る。
『今日は外から商人が来ている。お前には首輪くらいしか与えてやっていないからな、たまには他の装飾品も良いだろう』
 そんなことを言いながら歩くコウライギの歩調は、彼に比べるとだいぶ小柄な徹に合わせて緩やかだ。いまいち気分が晴れないまましばらく歩くうちに目指しているのが綺霞宮だと気づいて、徹はますます俯いた。
 綺霞宮にはセツリがいる。彼女がコウライギに縋るような甘えるような素振りで近づくのを、また見なければならないのだろうか。
「……?」
 歩いていると、ふと、少し先の方にある扉のひとつが半開きになっていることに気がついた。ライソウハに王宮だと教えて貰ったこの広い敷地は、沢山の使用人たちが常に隅々まで手入れしていて、だから扉が半開きになっていることもない。だから、それが妙に気にかかった徹は、半開きの扉の横を通る際につい覗き込んでしまった。それでも徹はそこに踏み込むつもりはなかったのだ。
 その向こうに、四ヶ月前に見たきりの生徒会室の給湯室を見つけるまでは。
「嘘だ……」
 真っすぐ歩いていたはずの足が、思わずそこに一歩踏み込む。給湯室は、徹がお茶を淹れようとしていた時の様子そのままだった。
 いつもの癖で全員分用意してしまっていたカップ、いつからあるのかわからない少し古びた急須。伸ばした指先がその急須に触れた時、徹はふと首の鎖が妙に軽くなったことに気がついた。
「コウライギ……?」
 急に不安になって振り返る。
 半ばで途切れた金の鎖の向こうには、見慣れた生徒会室が広がっていた。



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