29


 ギイン、と鋼と鋼の打ち合う音が高らかに響く。心臓がドキドキと高鳴り、徹はほとんど無意識のうちに手をぎゅっと握り締める。
 広い空き地のような場所は、普段衛士たちが訓練を行うために設けられた場所であるようだ。そこで、コウライギ自らが大きな剣を持ち、衛士たちとは少し違った服装の男と打ち合っている。
 既に何人もの衛士たちと打ち合ったコウライギは疲れを知らないのか、圧倒的な強さで相手を追い詰めていく。コウライギと戦う金髪の衛士はこれまで彼が相手にしてきた衛士たちを取りまとめているらしい。なかなか強そうに見えるし、少なくとも他の衛士たちよりは長く斬り結んでいるが、額に汗を滲ませた顔には焦りが浮かんでいた。
 高い音を立てて剣と剣がぶつかり合い、たたらを踏んだ衛士がその場から踏み出しざま勢い良く剣を払う。それを斜め後ろに飛び退いて避けたコウライギが、勢いのまま半回転して返す剣で斬りつけた。
「……っ!」
 衛士の喉元に迫った刃が寸前でピタリと止まる。動きを止めた衛士が、汗を滴らせながら苦笑して深々と礼をした。勝負がついたのだ。
『どうだ? トール。吾の腕もなかなかだろう』
 剣をおさめ、自らも袖で汗を拭いながらコウライギが戻ってきた。ライソウハに持たされていた手巾を手渡すと、それで顔を拭いたコウライギが徹の横に腰を下ろし、満足そうな溜め息をついてこちらを見つめてきた。
『陛下、お見事でした。感服いたしました』
『セイショウカンさま』
 空き地から戻り、跪いてコウライギに礼をした男のもとへ、ライソウハが駆け寄った。彼に渡された手巾を笑顔で受け取り、首筋の汗を拭っている。コウライギと同じような金髪をした彼の名前は、セイショウカンというらしい。
 セイショウカンは微笑をすぐに引っ込めると、徹の目の前までやってくると跪いて深々と頭を下げた。
『瑞祥、あなたにはご迷惑をお掛けいたしました』
「……コウライギ……?」
 どうしていいか解らず、困惑も露わにすぐ隣にいるコウライギを見上げる。苦笑したコウライギが男に向かって手を振った。
『トールは言葉を解さぬ。そのように謝ったところで伝わらんよ』
『それでも、卑職が誘拐事件に利用されたことは事実です。瑞祥にお許しいただくまでは、卑職は瑞祥に顔向けできませぬ』
 言い募って尚も深く頭を下げるセイショウカンに困り切って徹は再びコウライギを見た。さらわれた時に連れて行かれたあの屋敷は、目の前にいる男のものらしい。責任を感じていることは解ったが、言葉を理解していないことになっている徹には何もできない。
『全く、頭の固い奴だ。……トール』
 コウライギがじっと徹の顔を覗き込んでくる。
『許す』
「……?」
 首を傾げると、コウライギが再び繰り返した。
『許す』
 復唱を求められていることを察し、徹は恐る恐る口を開いた。
「……ゆ、るす?」
『そうだ、トール。この男を見て言え。許す、と』
 コウライギが徹に解るようにセイショウカンを指差す。徹はコウライギに促されるまま男に向き直り、そっと口を開いた。
「許す」
『……ありがとうございます』
 顔を上げたセイショウカンの目から、涙が一筋伝った。
『以後、セイショウカンは誠心誠意瑞祥にお仕えいたします』
 切々と述べられて、流石にいたたまれなくなった徹はコウライギの袖をぎゅっと握り締めた。コウライギが柔らかく苦笑する。
『もう一度言ってやれ。許す、と』
「ゆ、許す」
『瑞祥……』
 セイショウカンが再度頭を下げたところで、コウライギが今度こそそれを遮った。
『ええい、いつまでやるつもりだ。お前は許されたのだからいい加減立て。ライソウハ、セイショウカンの相手をしていろ』
『尊命』
 コウライギに指示され、ライソウハがセイショウカンの腕を取って立ち上がらせると少し離れたところに引っ張って行く。それを見るともなしに眺めていた徹は、再びコウライギに顔を覗き込まれてわずかに頬を染めた。
 どうもコウライギは他の人たちよりも徹に接する時の距離が近い。いちいち赤面してはいけないとは思うが、残念ながら徹自身の意思でそれを止められたことはなかった。
『よくやったな、トール』
 くしゃくしゃと頭を撫で回され、ほっと息をついた徹も微笑みを返した。
 ライソウハから少しずつ言葉を教わっている徹は、今ではセイショウカンが徹の誘拐事件に際して濡れ衣を着せられかけたことを理解している。それを彼が気に病んでいると聞いてはいたが、今日まで彼と顔を合わせる機会がなかったのだ。
 コウライギが徹に「許す」と言わせたということは、コウライギ自身もまた彼を許しているということなのだろう。セイショウカンもこれで少しは気分が晴れるだろうと考えると、徹の笑みも自然と明るくなる。
 そんな徹を抱き寄せ、コウライギが言い聞かせるように語り掛けてきた。
『いいか、トール。お前に――を学ばせる。吾のようにとまでは行かなくとも、少しは――を学んでおいた方がいいだろう』
 今度こそ本当に解らない言葉を出され、徹は本心から首を傾げた。そんな徹を見たコウライギが明るく笑う。
『――に――を紹介させる。明日だ。お前は解っていないようだが、まあ、連れて行けば自ずと理解するだろうな。ちょうど――も学び始めるところだから、一緒に学べばいい。な、トール』
 ところどころ解らない言葉があったが、それらはどうやら名前のようだ。今後接する人が増えるということだろうか。コウライギに促されるまま徹は小さく頷いた。
『吾の犬は可愛いな』
 機嫌良さそうに微笑んだコウライギから頬に口づけられ、徹は頬を染めて俯いた。



Prev | Next

Novel Top

Back to Index