28


 シンシュウランがコウライギに呼び出されたのは、すっかり日も落ちて王宮内から人気がなくなった時刻だった。
「毎晩瑞祥のもとへ通っていると聞いたが、気のせいだったかな」
 磊落な笑みを浮かべたシンシュウランを、対照的な仏頂面のコウライギが迎える。
 灯りを落とした室内は薄暗く、ゆらゆらと揺れる灯火が壁に細長い影を描いている。澄んだ酒を自ら杯に注いだコウライギが瓶を滑らせてきたので、シンシュウランもまた自らの杯にそれを注ぐ。目の前に翳してから一息に飲み干すと、次の一杯をコウライギが注いでくれた。
「セイショウカンから聞いたか」
 何ともないような顔で酒杯に唇をつけながら、コウライギが横目でシンシュウランを見る。頷いて、シンシュウランは杯を空けた。
「トールに幾つか家紋を見せてみたが、やはりトウに反応した」
「やはりな……」
 コウライギの手の中で酒がとろりと揺れる。
 トウの花は、アルギシンの家紋だ。どこで見たのかは知らないが、コウライギは瑞祥をほとんど外へ出していないはずだ。自然、家紋を見る機会は限られてくる。
 先だって賊の言葉を丸々復唱できたことといい、瑞祥は彼らが思っていたよりもずっと賢いことがわかった。だが、コウライギはそれを知らしめたくはないらしい。どんな思惑があってのことか問い質したい気持ちはあるが、同時に彼は話さないだろうという確信もあった。
 コウライギの秘密主義は徹底している。幼少時から学友として付き合ってきたシンシュウランにすら、彼はほとんど内心を打ち明けたことがなかった。
 果たして、彼が内心のどんな秘密をも打ち明け、心を許す相手など現れるのだろうか。シンシュウランは幾分か懸念しながらコウライギの表情を窺った。手酌で酒を注ぎ足すその横顔は、腹の中で何を考えているのかを決して悟らせない。
 瑞祥には珍しく独占欲のようなものを見せていたが、それでも彼は瑞祥に言葉を教える気はないという。犬扱いしているからこそ、ようやく少しばかり気を許せているということなのだろう。
「……そろそろホウテイシュウが戻る頃だろう。ちょうど良い頃合いだな」
 ああ、とコウライギが頷いた。
「あいつなら信頼できるし、教え方も上手い」
「瑞祥を宮から出さなかったのは、ホウテイシュウを待っていたからか」
 問い掛けるが、コウライギは答えない。代わりに、薄い笑みを唇に乗せた。
「トールにも多少は護身術の心得が必要だろう?」
 そう言って酷薄に微笑むコウライギを見ていると、あたかもあの誘拐事件を仕組んだのは彼自身ではないかとさえ思えてくる。瑞祥が誘拐された時の彼の激昂ぶりを見ていなければ、そう信じてしまいそうだ。
「……ホウテイシュウからは、チョウハク国を発つとの連絡が来ている。早馬が着いたのは今日の夕刻だったから、恐らく明後日にはコウ国に着くだろう」
「予定通りだな。ホウジツに紹介させる」
「セツリどのにもお会いいただくのか」
 コウライギが頷いた。
 セツリとは、前王太子妃であった人だ。コウライギが王太子に立てようとしているコウクガイ王子とグエン姫の母親でもある。
 瑞祥が現れるまではコウライギの妻としての最有力候補であったセツリに、瑞祥を会わせるのか。複雑な心境になったシンシュウランは、探る眼差しをコウライギに向けた。
「コウライギ。……お前、本当に瑞祥を王妃にするつもりか」
 そうでなければ、瑞祥を前王太子妃に会わせたりなどしないだろう。ホウジツに紹介させると言っているが、要するにコウライギは彼女に可能性はないと遠回しに告げるつもりなのだ。
「吾にはセツリどのを娶るつもりはない」
 言って、コウライギは飲み干した杯をたんと卓に置いた。
「トールは吾の犬だ。瑞祥であり、言葉を解さない。吾の王妃にするのに、これ以上の者はいるまい」
「尚書たちが納得するかどうか……」
「納得しない者は」
 途端に胸倉を掴んで引き寄せられ、シンシュウランは息を呑んだ。シンシュウランは体格でも武術でもコウライギを圧倒している。それでも、コウライギの冷え冷えとした眼差しに言葉が出なかった。
「納得しない者は、許さない」
 シンシュウランは黙って頷いた。


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