27


 誘拐事件があってから、徹の日常は平穏なものに戻った。ほとんど元通りの生活だが、変わったことも幾つかある。
 首輪が新しくなったこと、塔を守る衛士が増えたこと、それから、ライソウハがこっそり言葉を教えてくれるようになったことだ。
 初めのうちは、突然積極的に話し掛けてくるようになったライソウハの意図がわからなかったが、身振り手振りを交えて根気強く説明され、徹も彼の言いたいことを把握した。要するに、コウライギや他の人々には秘密で言葉を教えてくれるということだ。
 徹が想像していた通り、コウライギ自身は徹に言葉を覚えて欲しくないのだそうだ。だけど、言葉が解っていない振りさえできるのなら、人の言っていることが理解できて損はない。
 コウライギの希望に背くことに対して全く躊躇いがない訳ではなかったが、先日の誘拐事件の折にも言葉がわからなかったためにもどかしい思いをしたことは記憶に新しい。恐る恐る頷いた徹に、ライソウハは花が咲いたような笑顔を見せた。
 今、ライソウハはコウライギが毎朝の朝議に出ていて確実に不在にしている時間帯に限って、徹に言葉を教えてくれている。
 もともと学ぶことはあまり苦手ではない。これまで人々の発言から少しずつ言語を学んでいた徹は、ほんの数日の間にライソウハが驚くほどするすると言葉を覚えていった。よくわからない単語があっても、前後の文脈から想像して補完することができるようになった。
『……そして、夢に出でた天帝さまは、お宮を建てるようにと仰いました。その夫婦が立派なお宮を建てますと、すぐに中庭に大きな鳳と凰のつがいがやって来ました』
 ライソウハが徹のために用意したのは、子ども向けの絵本のようなものだ。薄いパステルカラーの絵の具で描かれたそれらはどうも全て手書きのようで、一目で高価なものだとわかる。
 今までライソウハのことは自分の世話をしてくれる人としか思っていなかったが、さらわれた時といい、こうして親身になってくれる存在が本当にありがたかった。
「ホウ、と、オウ?」
 横に座って読み上げてくれるライソウハを見ると、彼の指先が描かれた大きな鳥のようなものを示した。
『そうです。この国を守ってくれているのですよ』
 どうやら想像上の生き物であるそれらは、徹が見たことのある鳳凰とは少し異なるものの、大まかにはよく似ていた。
 続きを促し、徹はライソウハの語るおとぎ話を聞いた。
 むかし、人々は男と女でしか子どもを成せなかった。女は産みの苦しみを味わい、亡くなることも多かった。それを悲しんだある夫婦が天帝に祈る。子どもが生まれるのは喜ばしいこと。どうか、死がその喜びを失わせないようにしてください。それを聞き入れた天帝は、夫婦の夢に出て、お宮を建てるように言った。その通りにした夫婦の手によってお宮が完成すると、中庭にどこからともなく鳳と凰のつがいが飛んできて種をふたつ落とした。ふたつの芽はみるみるうちに絡み合いながら小さな木になり、夫婦がお互いの名前を書いたこよりをその木に結ぶと、小さな実が生った。木に生った実を十月十日守ると、そこから赤ん坊が生まれたという。
「……これは、おとぎ話、でしょうか?」
 あまりにも常識を超えた話にしばらく悩んでから問い掛けると、ライソウハは微笑んで首を横に振った。
『いいえ。この木は本当にありますよ。子どもの欲しい夫婦がこよりを結んで祈り、それが天帝に通じれば子どもを得ることができます』
 言われて、思わず徹は自分とコウライギが木にこよりをつけているところを想像した。
 見たこともない、仲良く絡み合うふたつの木。そこに二人の名前を書いたこよりをつけるコウライギが、ふと徹を振り返って穏やかに微笑む。木洩れ日が彼の美しい金髪の上を踊り、青とも緑ともつかない複雑な色合いの瞳が徹を見つめてやわらかく光る。
「……う」
 咄嗟に思い浮かべてしまった光景に、徹は喉の奥で妙な音を立てて俯いた。何を考えてしまったのだろう。我に返った途端に恥ずかしくて、耳が熱くなる。
『どうかなさいましたか? サーシャさま?』
 不思議そうに覗き込んでくるライソウハに、悪気はないはずだが追い討ちをかけられて、徹はふるふると首を横に振った。
 ここでは小さい部類になるらしいが、本来の徹は周りの人たちよりも体格の優れた、どちらかと言うと格好いい方だった。もともと無口だったこともあり、憧れていると言われたことだって少なくはない。そんな自分がコウライギからは稚い子どものように扱われているために、錯覚してしまいそうになった。
 自分が、そんなことを考えるのは、ちょっと変だ。
 頬を染めて俯く徹に対してライソウハが宥めるように微笑んだ。
『サーシャさまにはまだまだ先のことでございますね。十六になって成人してからゆっくりお考えになればいいことです』
 うん、と頷きかけて、徹はぽかんと口を開けてライソウハを見た。
「……十六? 成人は、十六からなのですか?」
『ええ』
 それがどうかしたのだろうか、という顔をするライソウハを見て、徹もまた首を傾げた。ここに来てから三ヶ月あまり。誕生日があったのは先月だ。
「……妾(わたくし)は、十八になりました」
 ライソウハの微笑みが硬直した。


妾…身分の高い女性やそれに類する立場の一人称


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