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 新たに作らせた首輪は、よくなめした革を黒に限りなく近い臙脂に染め上げたもので、黒髪に黒い瞳を持つトールによく似合った。一見すると何の飾りもない首輪には精緻なレンの花模様が刻まれている。王にのみ許される紋様は、八枚の花弁を持ち清らかな水面に浮かぶ花だ。
「苦しくないか?」
 きつさを確かめながら問い掛ける。何も答えずにじっとこちらを見上げるトールの瞳に自分が映っていることが、コウライギに深い満足感を齎した。
『コウライギ』
 膝に乗せたトールが胸に擦りよってくる。その背中を優しく叩いてやりながら、コウライギはほんの数日前のことに思いを巡らせた。
 トールがこの皓月宮からさらわれた時、コウライギは怒りで前も見えなくなるような思いだった。
 王のために現れると言われる瑞祥だが、歴史を紐解いてみれば王以外と結ばれた者もいた。トールが不在にしていたのはほんの一晩のことだったが、まさかトールも自分以外の誰かに仕えることがあるのではと思うと居ても立ってもいられず、コウライギ自ら兵を率いてセイショウカンの屋敷へ駆けつけた。
 そのトールは今、まるで何事もなかったようにコウライギの腕の中にいる。
 いや、何事もなかったわけではない。
 あれから、トール自らコウライギに触れてくることが多くなった。膝に乗せれば擦りよってくるし、寝台で手を握ってやればはにかんだように微笑んでその手を胸に抱き込む。可愛げの増した様子を見ていると、犬扱いしてはいてもいじらしく、コウライギ自身もついついトールに触れることが増えた。
 特に寝台の中で背中や腰を撫でてやったり、うなじを擽って戯れてやると、ふるふると震えながら反応を返す。嫌がるような素振りがないのをいいことに、真っ赤になった頬に口づけて眠るのがすっかり習慣となっていた。
 そのためかトールは相変わらず寝不足が酷いようで、日中は眠そうにしているとライソウハからも苦言じみた報告を受けている。あの文句のありそうな態度を見る限り、どうやら最近になってライソウハはコウライギが彼にちょっかいを出していることに気がついた様子だ。ここ数日はライソウハからトールに午睡を促しているようで、今日も皓月宮を訪れた時にはトールは午睡の最中だった。王の訪れに合わせて起こすのは当然といえば当然のことだが、流石のコウライギも少々罪悪感を覚えた。
『コウライギ』
「ん」
 コウライギに懐きながら時折水菓子を口にしていたトールが、ひとつを手にとって差し出してくる。それを彼の手ずから食べたコウライギは、トールが相変わらず言葉を理解していないことを確信して内心で安堵した。
 人間は汚い。全ての人間がそうでないことは解ってはいるし、例えばシンシュウランやライソウハなど信頼できる者もいるが、それでもトールにはこのまま言葉が解らないままで居て欲しかった。言葉さえ理解出来なければ、下らない噂や悪意に傷つくこともない。嘘をつくことも、心にもないことを口にすることもできない。
 トールには、それこそ愛玩動物のように、ただ純粋に自分を慕ったままであって欲しい。コウライギが望むのはそれだけだ。
「……だが、そろそろ護身術のひとつくらいは身につけさせるべきか」
 呟いたコウライギを、トールが不思議そうに見上げる。
 言葉が通じないから一体幾つになるのか解らないが、今年十六歳になったばかりのライソウハよりも全体的に少し華奢なトールは、恐らく十代の前半くらいだろう。そんなトールに対して、戯れとはいえ劣情に近いものを覚えている自分自身に苦笑して、コウライギはトールの頭を撫でてやった。
 若いのなら色々覚えさせるには好都合だ。特に護身術などの体術を身につけさせるのなら、早い方が覚えもいいだろう。
『コウライギ?』
 とうとう問い掛けるような調子で名前を呼ばれ、コウライギはしっかりとトールに目線を合わせて語り掛けた。
「いいか、トール。今後は護身術を学ぶ時に限ってお前がこの塔を出ることを許す。ライソウハに付き添わせるから、しっかり学ぶのだぞ。いいな?」
 言い聞かせると、不思議そうに瞬きを繰り返していたトールがゆるゆると頷いた。
 何も解らなくても、トールはコウライギの言葉を否定しない。そんな彼が可哀相でかわいくて、コウライギは目を細めるとトールの頬にそっと口づけた。


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