25


 謹慎期間が明け、セイショウカンは七日ぶりに王宮へと足を踏み入れた。
 回廊を歩くセイショウカンに対して、すれ違う人々の反応は概ね好意的なものだった。危うく無実の罪を着せられるところだったが、陛下の判断によって瑞祥の誘拐事件そのものは伏せられている。そのため、セイショウカンは王の瑞祥への扱いに苦言を呈したために謹慎させられたのではという噂が人々の口に上っていた。実際に公表されている内容は彼が無断で瑞祥を連れ出したということだったが、それも陛下への抗議のひとつと捉えられたようだ。
 誘拐犯の汚名に比べればずっとましではあるものの、それはそれで問題であるような気もする。このままでは王に諫言しようとする者が居なくなりかねないからだ。
 セイショウカンが労いの声を掛けてきた官吏に挨拶を済ませて小さく溜め息をついた時、回廊の角からアルギシンが姿を現した。
「これはこれは、セイショウカンではないですか」
「アルギシンどの」
 よくよく肥え太った男だ。垂れ下がった脂肪の塊のような姿を見て、セイショウカンは愛想笑いの中に嫌悪を滲ませた。
「そなたは先だって瑞祥と楽しい時間を過ごされたと聞いておる。どのようなお人柄であったのかな」
 上将軍副官の地位は戸部官吏よりは高い。そのセイショウカンに対して敬う素振りも見せないのは、アルギシンが彼を蔑んでいる何よりの証拠だった。そう、彼の失脚を目論む程度には。
 まだ詳しくは聞いていないが、瑞祥の誘拐事件に関しては犯人に繋がる有力な証拠が上がっていないらしい。アルギシンがこうして堂々と王宮内を闊歩しているのがそれを現している。
 セイショウカンは穏やかに口を開いた。
「瑞祥は特別好き嫌いはなさいませんが、苦手なものならあるようですよ」
「ほう?」
 まさかまともな答えが返ってくるとは思っていなかったのか、アルギシンが興味深そうな顔になった。やはり瑞祥の情報に飢えているのだろう。
 脂肪に埋もれた小さな目を見開いた様子が豚に似ていて、セイショウカンは薄く微笑む。
「家紋を見せないものは信用ならないようです。しかし残念ですね、例え見せたところで、瑞祥さまはトウの花がお嫌いだそうですから……。どうも嫌な思い出がおありのようでして」
「……!」
 トウの花は、小さな花が集まり房になって垂れ下がったものだ。アルギシンの家紋に使われる花を持ち出した当てこすりに、彼は言葉も出ない様子で口をぱくぱくと開いたり閉じたりした。
 瑞祥がアルギシンの家紋を見たかどうかなど知らない。だが、アルギシン自身は何か思い当たることがあったようだ。呆然としていた次には、悔しげにセイショウカンを睨みつけてきた。
「言葉も解らぬ瑞祥が、花の名を解するとは思えぬ。法螺も大概にするがよい、平民上がりが」
 それだけ言い捨てて足音も荒く立ち去って行くアルギシンを見て、これは何かあったなとセイショウカンは確信した。嫌がらせがてら鎌をかけたつもりだったが、もしかすると本当に瑞祥に家紋を見られたのかもしれない。
 ともあれ、当初の予定は王に謁見することだ。この件も併せて報告することに決め、セイショウカンは心持ち急ぎ足で回廊を進んだ。
 セイショウカンが霽日宮の主のもとを訪れた時、そこにはホウジツという先客がいた。
 何やら深刻そうに話し合っているのを見て出直すべきかとも思ったが、コウライギ自身に無言のまま促され、セイショウカンはその場に留まった。
 礼をしてから失礼にならないよう後ろに控えるセイショウカンの前で、ホウジツが腕を組んで深々と溜め息をついた。
「……陛下の仰る通り、コウクガイ王太子が次の王になられるのがいいでしょう。前王太子の遺児、本来王座につくべきだった方のお子であらせられますからな。しかしながら、前第二王子の遺児、コウレキスウ王子の方が年嵩でいらっしゃるのもまた事実。コウレキスウ王子を推す者も多くおります」
「幾ら推したところで、本王はコウクガイ以外を王にするつもりはない。まだ頼りないのは確かだが、きちんと教育すれば良い話だ」
 コウライギの言葉にホウジツが首を振る。その度に、じゃらり、じゃらりとホウジツの冠が揺れた。
 後ろで控えたまま、セイショウカンは話の内容を反芻した。第三王子であったコウライギには二人の兄がいた。どちらも既に世を去っているが、当時王太子であった長兄は今年十歳になったばかりのコウクガイ王子と九歳の姫を遺しており、また、第二王子だった次兄は今年十二歳のコウレキスウ王子をそれぞれ遺していた。
「コウレキスウ王子は既に資質を現しております。このままではコウレキスウ王子を王に推す声が大きくなるばかり。その上、万が一陛下が王妃をお迎えになって子に恵まれた場合、やはり自らの子を王にしたくなるものでは……とも囁かれております」
「吾には子をもうけるつもりなどない!」
 その発言で一気に不機嫌になったのはコウライギだ。頬杖をついて話を聞いていた彼は、苛立ちを露わに吐き捨てた。
「……陛下は瑞祥を王妃になさるおつもりですか。それよりも、前王太子の王妃だったセツリさまを娶られるのが良いのでは。そうすれば、コウクガイ王太子の地位も盤石となることでしょう」
「ホウジツ!」
 とうとうコウライギが玉座から立ち上がった。ぱん、という音と共にホウジツに投げつけたのは手にしていた書簡だ。
「陛下。卑職も本意ではありませんが、尚書たちからも強く求められ……」
「もうよい。言っておくが、吾は例え名ばかりの婚姻であっても、兄上の妻に手を出すような外道ではない! セイショウカン、お前の話は明日聞く!」
 言い捨てるなり、コウライギはさっさと奥へと引っ込んでしまった。突然訪れた嵐のような勢いに、セイショウカンは返事も出来ずにそれを見送った。
 後に残されたホウジツが、疲れ切った様子で落ちていた書簡を玉座の横にそっと置いた。


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