24


「随分とセイショウカンのことを心配するんだな」
 皓月宮の階段を下りながら冗談めかして言うと、ライソウハは足を止め、後ろに続くシンシュウランを振り返ってひとつ瞬きをした。
「何のことですか、義兄上」
 そう訊き返すライソウハは、シンシュウランの言葉に何らかの含みを感じている様子だったが、彼の真意には気づいていない。
 わざわざそんな言い回しをしたのは、釘を刺すためだ。
 シンシュウラン自身は、ライソウハが思うほど高潔な人間ではない。婚姻の相手に同性を選ぶことが出来るとはいえ、彼はライソウハの子どもを腕に抱いてみたかった。亡くした妻の年の離れた弟をこの年になるまで世話してきたのは、決して副官にくれてやるためではないのだ。
 そもそも、同性と結婚する貴族はそれほど多くない。家が断絶しないよう、少なくとも長男は異性と婚姻を結ぶからだ。ライ家は家柄そのものは古いものの、大した権力を持たない。それでも、安易に断絶させていいものではなかった。
 ライソウハにはセイショウカンへの気持ちが多少なりともあるようだが、今のところ彼自身が自覚するほどではないようだ。そう判断して、シンシュウランは目を細めた。
「いいや。セイショウカンはお前が十の頃からの付き合いだからな。もうひとりの兄のようなものだ、心配して当然だったな」
「ええ、仰る通りです。セイショウカンさまの無実がわかって本当に良かった」
 ほっと微笑みながら、ライソウハが止まっいた歩みを再開した。
 瑞祥の住まう最上階のすぐ下の階に、ライソウハの部屋はある。そこに通されるのは初めてだった。シンシュウランを部屋に通して自らは茶の支度を始めたライソウハの背中を眺める。
 本来なら王の許しがないために足を踏み入れることは出来なかったはずだが、瑞祥が戻ってきた今日に限ってはコウライギが彼を塔に戻すことを優先した。そのために、シンシュウランもようやくこの塔を訪れることができたのだった。それもこれも、心の狭い王のせいだ。例え許しがあったとしても、シンシュウランが訪れる相手はかわいい義弟であって、瑞祥ではないというのに。
「義兄上……。相談が、あるのです」
 ライソウハも腰を下ろし、二人は淹れたばかりの茶を向かい合って飲んでいる。ちょっとした世間話が途切れてからしばらく沈黙していたライソウハがそう言った時、シンシュウランは咄嗟にセイショウカンのことか、と考えた。
「……話してみろ」
「その……こんなことを言い出すのもおかしいのかも知れませんが」
 言いづらそうに前置きして、言葉を切る。ライソウハは手の中の茶杯を見下ろしてうなだれている。罪悪感でいっぱいになっていることがシンシュウランにはわかった。だから、彼は内心で覚悟を決めた。
「……サーシャさまに、言葉をお教えしたいのです!」
 予想とは全く違う言葉に咄嗟には反応できず、シンシュウランは黙ったまま目を丸くした。度肝を抜かれたと言ってもいい。
「……そ、それは決意したな……」
 ようやくライソウハの話した内容を噛み砕いて、シンシュウランはそれだけ呟いた。だが、どちらにせよ到底許せる話ではない。命がかかっているのなら別だが、彼としては瑞祥などよりも義弟の方がずっと大切だからだ。
 シンシュウランの様子をじっと見ていたライソウハが、さっと顔を伏せる。
「陛下の命令に逆らうことが許されないということは、よく解っております……。しかしこのままでは、サーシャさまがあんまりにも……」
 うっ、とライソウハが小さく嗚咽した。伏せられた睫毛を伝って涙が零れ、浅黄色の茶にさざ波を立てる。
「わ、わかった! いや、吾もそう思っていたのだ!」
 心にもないことを言いながら、シンシュウランは内心で自分自身を罵倒した。おいおい何を言ってやがる。ライソウハを王命に逆らわせるわけには、そんな危険に晒していいはずがない。大体ちょっと泣かれたからと言ってすぐに折れるなど、コウ国上将軍としても義兄としても示しがつかないではないか。
 だが時は既に遅く、ライソウハは未だに涙を流し続けながらも期待に満ちた眼差しでシンシュウランを見つめていた。
「あ、義兄上、本当ですか……!」
「……」
 シンシュウランは静かに奥歯を噛み締め、瞑目した。駄目だ。お前の気持ちは理解できるが、それでもお前にそんなことはさせられない。そう言ってやればいい。ここなら誰も聞いていないのだから、こんな会話自体をなかったことにすればいいのだ。
 ゆっくりと目を開き、ライソウハを見つめ直す。まだ少年らしさの残るライソウハの柔らかな頬を伝い、涙が次々と零れ落ちている。その双眸はシンシュウランに全幅の信頼を寄せて輝いていた。
「義兄上……」
 シンシュウランは重々しく口を開いた。
「……本当だ」
 そして、かわいい義弟の頼みを断れなかったことに深く深く落ち込んだ。


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