21


 白々と夜が明けるのを、コウライギは白い夜着姿で独り眺めていた。
 先ほどまでホウジツと酒を飲み交わしていたが、既にその姿はない。酒気が抜ければ頭は冴えるばかりで、遅めの湯浴みを済ませたコウライギは茶を持って露台に出ていた。
 トールは今、どうしているだろう。いつも露台から外を眺めていた華奢な背中を思い出し、コウライギは遠くで響く鳥の鳴き声に耳を澄ませる。
 瑞祥は確かにめでたいものだ。優れた王のもとに現れると言われ、歴史の中にも時折出現している。実際、コウライギの二代前の王のもとにも現れていた。
 だが、ある種の縁起物であるほかは大した役割もなく、むしろ死によって失われた時には災害をもたらすのも事実だ。瑞祥の降臨などめでたくも何でもないと考える者もいる。
 コウライギは王となるべく生まれた訳ではない。急逝してしまわなければ本来は彼よりもずっと優れた兄がこの地位に就くはずだったし、その思いは自らが王になった今も消えていなかった。
 瑞祥など必要ない、そう思っていたコウライギのもとに瑞祥が現れる。その皮肉さに、彼は瑞祥などどこかに幽閉しておくつもりだった。
 だが、トールは言葉も通じないのに妙に従順だった。コウライギに対する無言の信頼を見せてくるその姿に、いつの間に心動かされていたのだろうか。そうでなければ、手の届かないところにいるというだけで、何故これほどまでに焦燥感が募るのだろう。
 瑞祥など、望んでいなかったというのに。
 はっきりと明るさを増した空からの光を受けて、コウライギの金髪がきらきらと煌めいた。少し伏せた視界にそれが入り、ぎりっと奥歯を噛み締める。勢いよく茶を呷り、髪を払い除けた。
「……いや、そんなはずはない」
 空になった茶杯を庭に投げ捨てる。パン、と陶器の割れる音を背にして、コウライギは立ち上がった。
 自分が瑞祥に心許すはずなどない。そもそも、コウライギは人間が嫌いでたまらないのだから。
「あれは犬だ。……それ以外の立場は認めない」
 低い呟きは、どこか自らに言い聞かせるような響きを持っていた。それにさえ苛立ち、彼は室内に戻って荒々しく夜着を脱ぎ捨てると、王にのみ許されている龍袍を身に着けた。
 コウライギが身の回りに側仕えすら置かないのは、自らを戒めるためだ。誰にも省みられなかった第三王子時代を忘れてはならない。王になったからといって傲ってはならない。何故なら、少なくともこの国では誰も王には逆らえないからだ。そうやって、玉座についてから五年の間、政治においては周囲の意見を尊重し、完璧な王であるために自分自身を押し殺してきた。
 周囲が瑞祥への横暴に関して眉をひそめはしても直接諫言しないのは、それが王という立場に雁字搦めに縛られたコウライギの唯一の我が儘だからだ。異界から降臨した、後ろ盾のない瑞祥に何かあったところで、損する人間はいない。危害さえ加えなければ、あるいは最低限命さえ保てていれば、彼らはそれで構わないのだ。
 身仕度を整えたコウライギは、黙って扉へと歩みを進めた。つ、と手を伸ばして扉に触れる。その一瞬で、躊躇った。
 この扉を開けば、控えている衛士たちがすぐさま先触れに走るだろう。王の承認を得次第シンシュウラン率いる上軍二百がセイショウカンの屋敷を取り囲み、そこに捕らわれているはずのトールを救い出す。
 そして、どうするのか。コウライギは沈黙したまま思いを巡らせた。トールをこの手に取り返して、そしてまた皓月宮に半ば幽閉するように閉じ込めるのか。
 それに、トールはどうなる。彼は既に新しい主人を見つけているのではないだろうか。そうでなくても、一度触れた外界に今後焦がれるのではないか。
 コウライギの手を、嫌がるようになるのか。
 コウライギの内心で幾つもの考えが錯綜する。だが、それはほんの一瞬のことだった。
 力強く扉を開き、コウライギは回廊に踏み出した。高らかに声を上げ、王による決定を知らしめる。
「シンシュウランに報せろ。本王も同行する」
 トールは、吾のものだ。低い呟きは、本人以外の誰の耳にも入らなかった。


Prev | Next

Novel Top

Back to Index