19シンシュウランは焦っていた。一刻も早く瑞祥を見つけなければならない。それはサーシャさまの安全のためであり、コウライギの命令でもある。だが、シンシュウランが必要以上に焦っているのは、この誘拐劇そのものがセイショウカンに汚名を着せるためのものであると察しているからだ。 平民出身のセイショウカンは、貴族でありながら優遇されて来なかったシンシュウランが一兵卒だった頃からの腹心の部下だ。歩兵からの叩き上げで、お互いにお互いを励まし合ってここまで来た。どちらかと言うと実直なセイショウカンは、ともすれば周囲からの圧力や政治的な駆け引きに嫌気が差しそうになっていたシンシュウランをよく叱咤激励してくれたものだ。 「検閲の様子はどうだ」 「はっ。王都の全ての門を改めておりますが、瑞祥と思われる方を連れ出した様子はありません」 「そうか。引き続き検査を怠るなよ」 「はっ」 報告を終えた部下が出て行くのと入れ違いで別の部下がやって来る。 「上将軍」 「足取りは掴めたか」 「家紋のない不審な馬車が王宮から出ておりますが、その後の行方は調査中でございます」 「何かわかり次第報告するように」 「かしこまりました」 泰然と構えた内心に焦りを隠し、シンシュウランは次々と入ってくる報告を確認していく。最後の一人が退出したところで、彼は座り続けて固まった身体をほぐすために立ち上がった。まだ大した進捗はないが、それでも一旦は王に報告する必要がある。 回廊を歩くシンシュウランは、ふと、ある男の姿を認めてそちらへと歩み寄った。 「これはこれは、上将軍どの」 「アルギシンどの。吾に何か用事でも?」 一般の官吏は普通なら軍機処まで出向いて来ることはない。でっぷりと肥えた男に蔑みの視線を向けたくなるのを堪え、シンシュウランは穏やかな笑みを浮かべた。 「なに、瑞祥がさらわれてから、上将軍御自ら指揮を執って捜索されていると伺いましてな。何か助けになればと思いまして」 何が助けだ、白々しい。吐き捨てたくなるのを抑え、シンシュウランは頷いた。 「それは良い心掛けだ。して、どのようになさりたいと?」 「いえ、卑職も僅かながら私兵を抱えておりますので、それを持ってお手伝い出来ればと思っております」 「ふむ……」 深々と礼をしながらそう言われ、シンシュウランは内心で考えを巡らせた。 アルギシンは官吏の一人で、かなり裕福な貴族でもある。先代国王のもとでは一時期尚書にまでなったが、王が実力主義者のコウライギに代わって以来鳴かず飛ばずで、その地位も後進に明け渡していたはずだ。 既にいい年齢に到達しているアルギシン自身はこれ以上の栄華も望めまいが。そう考えたところで、シンシュウランはふとあることに気づいた。 アルギシンの息子は確かシンシュウランの率いる軍に属していたはずだ。数年前に権力を利用してねじ込まれた覚えがある。大して使えもしないが役職だけは高くて扱いに苦慮させられていた。 彼が自分自身ではなく息子の出世を狙うならどうだろう。実力からは到底不可能である上将軍の地位よりも、その副官の地位を狙ってもおかしくはない。 シンシュウランには二人の副官がいる。一人は平民出身のセイショウカン、もう一人は大貴族出身のカクウンチョウだ。どちらかを陥れるとするなら、家格のあるカクウンチョウよりも、平民出身ということで常日頃から妬まれ謗られているセイショウカンを選ぶだろう。 「それは助かるな。ぜひ助力をお願いしたい。ただし、軍に通達する必要があるため、明日の午からとなる」 「かしこまりました」 アルギシンがにやりと嫌らしい笑みを浮かべたのを見て、シンシュウランは内心の予測を確信した。 「では、明日の午に追って通達する。それまでに私兵を整えておくように」 「勿論でございますとも」 再び深々と礼を取ったアルギシンを残し、シンシュウランは軍機処へと引き返した。 「カクウンチョウはいるか」 「おりますよ、上将軍どの」 呼べばすぐに鳶色の髪にそばかすの跡が残る顔の青年が顔を出した。 セイショウカンより年若いこの青年は、飄々とした態度を崩さないが表面に出すよりも深く物事を捉えられることでシンシュウランも特に目をかけてきた。大貴族の出であることを鼻にかけているように振る舞っているのも、平民を見下す勢力をうまく取り込むためだとシンシュウランは知っている。 セイショウカンが忠実な部下であるのに対して、カクウンチョウは参謀のような役割を果たしているのだった。 「お前は……。この非常時くらいもう少し緊張感のある態度は取れないのか。吾は仮にもお前の上官だぞ」 「シンシュウランさまがそれを気にもしていないことはわかっておりますので」 にこやかに嘯いた青年が、その笑顔のまま目を細める。 「アルギシンの仕業ですかね?」 「……立ち聞きは感心できんなぁ」 「この非常時ですからね」 しれっと返されてシンシュウランも苦笑した。 「カクウンチョウ、お前はどう思う」 「間違いないでしょう。あのアルダイスイはぼんくらですが、アルギシンがねじ込んでくれたお陰で地位だけは高い。遠征にもやらず書類仕事をしているとは言え、セイショウカンが失脚したらあいつが次席ですよ」 「それは勘弁願いたいな……」 使えない人間が副官になることを想像して嘆息する。そんなシンシュウランに、カクウンチョウがからりと笑った。 「アルギシンごとアルダイスイを切り捨てる好機だと思えばいいんですよ。……ただ、どうも事が単純すぎるんですよねえ」 「まあな」 シンシュウランは頷いた。 「この件は一見単純だが、根は深いかも知れんな……」 だが、今の彼らにこの件を深く調査できる余地はない。何よりも瑞祥の救出が先決だからだ。 「明日、朝一番にセイショウカンの屋敷へ踏み込む。カクウンチョウ、何としてもアルギシンに先手を打たせるなよ」 「かしこまりました」 重々しく告げた言葉に、カクウンチョウが表情を改めて頷いた。 「吾は陛下に報告してくる。手配は任せた」 「はっ」 軍機処を出たシンシュウランは、回廊を辿って再び霽日宮を目指して歩きながら夜空を見上げた。 高く昇った月が、王都を皓々と照らしていた。 |
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