16


 コウライギのものでない馬車がこんなにもガタガタ揺れるものだとは知らなかった。以前乗ったものとは違って座席はそのまま板張りで、その硬い座席に地面から突き上げてくる震動が直に伝わってくるものだから、もしもまる一日中乗っていたなら痛みで動けなくなりそうだ。
 徹は妙にぼんやりする視界で目の前に座る男たちを眺めた。
 衛士の格好をしていたはずの二人の男たちの服装は先ほどとは異なっていて、徹が気づかないうちに着替えたのかもしれなかった。徹の住む塔に居る衛士たちよりは少しばかり地味だが、大まかなところではかなり似ている服だ。軍人の着る服はどれもこういう系統なのかもしれない。
 後々のために彼らの顔立ちをしっかり覚えておこうとは思うのだが、先ほど嗅がされた薬のせいで思考も視界も覚束なかった。今にも眠りにつこうとしている時のような、あのぼんやりとした感覚に近い。これでも先ほどよりはだいぶましになってきてはいるのだが。
 ガタン、と馬車が大きく揺れて、その衝撃で意識が少しだけ覚醒に近づく。
 徹は男のひとりが手に握った短剣の柄に紋様があることに気づいた。努めて表情を変えないようにしてそれをじっと観察する。
 車輪の音がガラガラ響く中で、馬車が右折する。その揺れに任せて身体を傾け、短剣を見た。どこか藤の花のような、特徴的な植物が象られている。それを認めて、そっと身体の傾きを戻した。
 幸い、馬車が揺れる度に徹の身体も座席で揺れ動いていたので、不審には思われなかったようだ。
『……おい』
『ああ』
 地面の様子が変わったのか、不意に揺れが少なくなった。少なくとも平らな道には出たようだ。この馬車にも窓はついているが、カーテンのような布が締め切られていて外の様子はわからない。
『おい、今は騒ぐなよ』
 今は、とは、どういうことだろう。男のひとりに低く言われた言葉の内容は理解できたが、そこが妙に気になった。とりあえずいつものように首を傾げてみせる。
 男たちが顔を見合わせた。
『噂通り――、言葉がわからないというのは』
『そんなはずは――、吾たちを――しているんじゃ――』
 二人のやり取りを眺めながら、ここは少しばかり幼い様子を見せておいた方が無難かもしれないと考えた。
 何ヶ月も塔の露台から外を観察している間に、見た限りでは人々のほとんどが徹より背が高いことを知った。徹と同じくらいの身長をしているのは、恐らく十代前半の子どもくらいだ。かなり若く見えるライソウハの身長が徹より少し高いくらいなので、子どもの振りをしたら多分通用するはずだ。
「コウライギ……」
 徹はやや俯いて、ぽつりと呟いた。保護者から引き離されて心許なくなっている子どもに見えるように祈りながら、ぎゅっと両腕で自分自身を抱き締める。
『なに?』
「コウライギ、コウライギ……」
 俯いて小さな声でコウライギの名前だけを呼ぶ。
 その様子を見守っていた男たちが、話し合いを再開した。
『まだ幼い子どもだ、吾たちを――すはずがない』
『はあ……。それなら噂は本物か。いっそ実際に――って――たら良かったのかもしれないな』
 ため息を吐いた方の男が、向かい合った座席から下りて徹と目線を合わせるように覗き込んできた。びくりと身体を引くと、小動物にするようにゆっくりと手を差し出してくる。
『ほら、――くしないから。こちらへ来い』
 しばらく逡巡するが、その手を取るほかに選択肢はない。徹が恐る恐る手を伸ばしたところで、馬車が止まった。
『――、降りろ』
 促され、徹は手を引かれるままに馬車から降りる。とん、と地面に足を下ろしながら横目で確認する。徹の手を掴んだ男がひとり、徹の後ろにひとり。振り切って逃げ出すことは難しそうだ。
 悩みながら顔を上げた先には、徹の暮らす建物と同じくらいの屋敷があった。
 徹の手を掴んだままの男が目の前に回り込むと、腰をかがめ、目線を合わせて自分唇に人差し指を当てた。静かにするように、という指示なのか。試しに口を開いてみようとすると、すかさず唇に指を押し付けられて首を振って見せられた。黙ると頷きで肯定される。
 徹が理解した証拠に頭を縦に振ると、男に頭を撫でられた。コウライギとは違って、どこか遠慮のある撫で方だった。
 そして徹は男に手を引かれたまま、その屋敷に足を踏み入れた。外観もそうだが、こんな状況でなければ快適そうに見える、小綺麗なお屋敷だった。どこもかしこもデザインの統一されていたあの敷地内でないことは確かで、きっとここに監禁されるのだろうと考えて、徹は内心でがっくりと頷垂れた。
 そもそも、こうやって簡単に誘拐されてしまったのは、徹自身に危機感がなかったからだ。まさか徹をあの敷地から連れ出す人間がいるとは思ってもみなかった。見慣れない衛士がいるな、と思いはしたが、妙な薬を嗅がされてすぐに頭がぼんやりしてしまった。気づいた時には馬車の中だ。
『こちらの方は――さまの――で、――さまです』
 屋敷の奥から出て来た老人に対して、徹を連れて来た男のひとりが話している。わからない言葉だらけだったが、誘拐犯同士の連絡事項なのだとしたら重要なことを言っている可能性もある。徹は聞き逃さないように耳をそばだて、必死になってそれを覚えた。
 男の話はまだ続いている。
『口が――ので、話し掛けたりはしないように。――へお連れして――の――を得るまで、こちらで二日ほど――いただくようにと――をいただいています。――に――ってください』
『かしこまりました』
 頷き、深々と礼をした老人は、誘拐犯の一味にしては随分人が良さそうだし、物腰も穏やかに見える。不思議に思いながらも、徹は男に促されるまま老人の方へ一歩踏み出した。
『小人は――と申します。これから――さまのお世話をさせていただきます』
 丁寧に挨拶をされて面食らう。これが誘拐してきた人質に対する態度だろうか。
 思わず男たちを振り返ると、彼らは不自然なほどの笑顔で頷いて見せた。
『お部屋へご案内いたします。こちらへどうぞ』
 これらの言葉はライソウハの話す内容と似ていて、徹にもはっきりと理解できた。行き先を示されて、徹は首を傾げながらも老人に従って歩き出した。
 歩きながらそっと振り返ると、徹をさらってきた男たちの姿はもうなかった。


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