15


「ああ、暑苦しい」
 部屋に入るなりかつらを脱ぎ捨てたセイショウカンに、ライソウハは思わずといった風情で苦笑した。
「何もそこまでしなくとも……」
「いや、これでも我はまだ遠征先に居るはずだからね」
 案内されたテーブルについてたセイショウカンは、話しながら失礼にならない程度に室内を見回す。
 ライソウハが皓月宮の住人になったのは三ヶ月前だと聞いている。セイショウカンはそれ以前から遠征に出ていたから、この部屋に通されるのはこれが初めてだ。
 瑞祥の側仕えになったことによって少し広くなった部屋をまじまじと見てしまったためか、ライソウハが微妙に照れたような表情を浮かべる。それを紛らわすためなのか、彼は手早く茶の支度を始めた。
「では、この後すぐにお戻りになられるのですか」
「ああ。だから王宮に戻っていることは知られない方が都合がいいんだ」
 振り返ったライソウハに訊かれ、髪を手櫛で整えていたセイショウカンは頷いた。やや短めに切り揃えられた彼自身の髪は、平民からの叩き上げであることを示す明るい金色だ。セイショウカン自身はそれを恥じたことはないが、とかく金髪は敵を作りやすい。
 茶器を並べたライソウハが席につく。早速杯を取って一口飲んだセイショウカンは、口に広がる爽やかな香りにほうっと息を吐き出した。暑い屋外から来た客に出すのに適した、さっぱりとした味だ。彼はこういった繊細な気遣いが昔から得意な子だった。だからこそ、瑞祥の側仕えにも選ばれたのだろう。
「やはり君の淹れる茶はうまいな」
「恐縮です」
 トン、と杯を置いた手を懐に入れ、小さな箱を取り出す。
「これを君に渡したかった。手ごろな文鎮が欲しいと言っていただろう? バーレーン石を彫刻したものだが、気に入って貰えるだろうか」
「ありがとうございます。セイショウカンさまの選んだものならきっと気に入りますよ」
 少し重みのある小箱を受け取り、ライソウハが破顔した。贈り物を選ぶのは得意ではない。何を贈るか苦慮することも、彼の笑顔ひとつで報われた気分になるのも、もう毎年のことだ。
 今年の贈り物が的外れでなかったことに安心して、セイショウカンは懐からもうひとつ箱を取り出した。
「それから、これはシンシュウランさまから君に」
「義兄上から? ご自身でいらっしゃらないのは、お忙しいからでしょうか」
 別の箱を手渡されたライソウハが首を捻る。
 上将軍シンシュウランの義弟である彼とは長い付き合いになる。シンシュウランの副官であるセイショウカンは、シンシュウラン共々毎年のようにライソウハの成長を喜び、誕生日には欠かさず祝いに来ていた。
 それがシンシュウランだけ不在なのだから、その理由が気になるのだろう。セイショウカンは少しばかり言いよどんだものの、包み隠さず告げることにした。
「実は、陛下はシンシュウランさまがこの皓月宮に近寄ることをお許しにならなくてな……」
「陛下が……。何故でしょうね……」
「さあ……」
 理由を聞かされたライソウハが不思議そうにしているが、不思議に思っているのはセイショウカンも同じだ。シンシュウランはあれでも王の学友であり、ほとんど親友と言えるほど近しい人間だ。それが、一体何をしたら瑞祥への接近を禁じられるのやら。
 ひとつ、解っていることがある。この件についてライソウハがシンシュウランを問い詰めたとしたら、義弟を溺愛しているシンシュウランに当たられるのはセイショウカンだということだ。
 セイショウカンはさっさと話題を変えることにして、ライソウハの顔を覗き込んだ。
「それで、瑞祥はどのようなお方なんだ? 噂では物静かな方だということだが……」
 セイショウカンは敢えて婉曲な表現を口にしたが、実際の噂はだいぶ異なっていた。
 曰わく、瑞祥は陛下によって会話を禁じられている。陛下は瑞祥を人間扱いせず、犬と蔑んでいる。塔に閉じ込めて他者と会わせない。瑞祥だけでなくその周りの者たちも沈黙を強いられているため、皓月宮は静かの塔と呼ばれている。
 多少なりとも信憑性のある噂はそんなところだ。それ以外の出所の怪しい噂では、鞭打っているだとか、食事の際に這い蹲らせているだとか、あるいはもっと残虐なものまで幾つもあった。どれも、王宮内に戻ってから皓月宮に来るまでに聞いたものだ。
 それに、気になるのは瑞祥のことだけではなかった。もしやライソウハが瑞祥に惹かれるのではないかと、自分自身くだらないと思うような懸念もあった。
「サーシャさまですか? そうですね、我よりは年下かとは思うのですが、具体的なお年はわかりません。陛下が言葉をお教えするなと命じられましたから」
「では、意思疎通は全くできないのか」
 早速噂のひとつが肯定され、驚きに目を見張る。ライソウハが物憂げに俯いた。
「ええ……。お仕えするようになってから三ヶ月になりますが、甘すぎない菓子がお好きだとか、露台から外を眺めるのがお好きだとか、そのくらいしか我にはわからないのです」
「三ヶ月も……経つのにか……」
 思わず呟くと、ライソウハが悲しげにセイショウカンを見上げた。
「はい。お食事も特に好き嫌いせずに召し上がるので、何が好物なのかさえわからず、もどかしい思いをしております。何より、陛下はサーシャさまに首輪をお付けになりました。その上で、この塔から出て歩く時には鎖をつけて引かれるのです」
「それは……」
 これにはセイショウカンも言葉を失った。およそ人間らしい扱い方とは思えない。そんな真似をされて、瑞祥は受け入れられるのだろうか。
 セイショウカンの意識からは既に、ライソウハと瑞祥の関係に関するくだらない懸念は消え去っていた。
「あの、サーシャさまは特にご不満であるようには振る舞われていないのです。ただ、我が勝手にサーシャさまを心配しているだけなのです……」
 険しい顔つきになったセイショウカンの様子を見て、ライソウハが慌てて言葉を付け足した。だが、その言葉もすぐに沈みがちになる。
「シンシュウランさまなら、陛下に苦言のひとつも申し上げられるのだろうが……」
「それなのですが、義兄上からは案ずるなと言われてしまって」
「シンシュウランさまが?」
 はい、とライソウハは頷いた。またしても二人して不可解な思いにとらわれる。
 セイショウカンとライソウハは顔を見合わせて深々とため息を吐いた。


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