14


 ここのところ、サーシャさまは眠そうにしていることが多くなった。それはこの晧月宮での暮らしに慣れたからなのか、あるいは何か悩み事でもあるのか、サーシャさまと会話を交わしたことのないライソウハにはいまいち判断がつかない。
 瑞祥の側仕えに任じられてから塔のすぐ隣の控え室で寝泊まりするようになって、三ヶ月以上が過ぎている。最も彼の近くに居るのが自分であるのは確かなのに、ライソウハと彼との意思疎通は未だに完璧ではなかった。王によって言葉を教えることを禁じられているからだ。そればかりではなく、必要以上に瑞祥に話し掛けることもまた禁止されている。ライソウハだけでなく、晧月宮に詰めている衛士たちも同じだ。
 王以外はほとんど口を開かないこの晧月宮は、最近になって静かの塔と呼ばれるようになった。
 塔の主が誰よりも寡黙なのも、その呼び名が広まることを助長しているようだった。瑞祥のサーシャさまは、王の名しか呼ばない。そして、それ以外の言葉を一切発さない。
 ライソウハの目から見てもサーシャさまはまだ十代の前半くらいの年齢としか思えない。その年頃の子どもは普通ならもう少し活動的なはずだ。だが、サーシャさまは口を開かないばかりか、この塔を出たがることさえなかった。
 サーシャさまの沈黙は、王による犬扱いによるものではないか。そんな疑いを捨て切れないライソウハは、王がやって来る度に普段以上に彼の様子に気を配るようになっている。今年十六になったばかりのライソウハよりも年下と思われるだけに、彼はサーシャさまを守ることに熱意を注いでいる。
 そのサーシャさまが、ここのところずっと寝不足気味なのを、ライソウハは深く心配していた。
 王は降臨以来毎晩のように瑞祥のもとを訪れ、彼を腕に抱いて眠っている。しかし、王は文字通り抱き締めて寝ているだけで、彼には手出しをしていない。毎朝の様子や湯浴みの際に注意深く確認しているが、特に痕跡が残っていたことはなかった。
 ここ数日にしても同じことで、サーシャさまの身体に異常は見受けられない。けれど、だからこそ彼が寝不足気味な理由がわからなくて、ライソウハは朝食の粥を食べながらうとうとする瑞祥の様子を心配している。
 もう一つ不可解なのは、王の態度だ。サーシャさまが常に眠たげなことは察しているはずなのに、それをことさら楽しげに見守っているふしがある。サーシャさまを心配したライソウハが一度医師を呼ぶことを提言したが、それは不要だろうと笑みを浮かべて却下されてしまった。
 瑞祥の体調など気にもならないのか、あるいは原因に心当たりがあるのか。ライソウハにはそれも判断がつかず、困惑は深まる一方だった。
「ライソウハさま、セイショウカンさまからの使いが来ております」
 露台に出て飽きもせず外の様子を眺めているサーシャさまを見守っていたライソウハのもとに、衛士がやってきて告げた。
「セイショウカンさまが?」
 ぱっと顔を明るくしたライソウハに、衛士が頷く。
「戦地からお戻りになったとは聞いていないのですが……サーシャさまにお声をかけて来ますので、少し待って貰ってください」
「かしこまりました」
 頷いた衛士が退出するのを待たず、ライソウハは瑞祥を驚かせないようにゆっくりと近づいた。
「サーシャさま、小人(わたくし)は少しこの部屋を出ます。こちらでお待ちいただけますか」
 言いながら、まず自分を差し、その手を扉へ向ける。それから、瑞祥を差してこの場に留まるように掌を向けた。
 こくり、とサーシャさまが頷いたのを確かめると、ライソウハはひとつ礼をしてから部屋を出た。
 長い階段をゆっくりと下って行くと、果たしてそこには使者の姿があった。何の気なしに使者を見上げ、目を丸くする。
「セイ……」
「しっ」
 穏やかに微笑んだ使者は、セイショウカン本人だ。鳶色のかつらを被っているために衛士たちもまさか本人だとは気づかなかったようだ。
「申月の丁日は君の生まれた日だろう。祝いの品を渡したくてね」
「その……戦地にいらっしゃるのではなかったのですか?」
 声を潜めて訊ねてから、衛士たちの見守る前で話すことの不便さに気づく。ライソウハはセイショウカンを見上げた。今度ははっきりと声を出す。
「使者どのは、晧月宮へ立ち入るための許状をお持ちでしょうか」
「陛下から頂戴しております」
 心得たセイショウカンが許状を懐から取り出して見せる。
「では、我(わたし)の居室でお話をお聞かせいただけますか」
 ライソウハが内心で緊張しながら言うと、セイショウカンが面白そうに微笑みながら承諾した。


小人…使用人の謙称
我…一般的な一人称


Prev | Next

Novel Top

Back to Index