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 他人の気配には敏い方で、だからこそコウライギはこの状況を楽しんでいる。
 王の朝は早く、隣で眠るトールが起き出す前には既に朝議のために支度を済ませるのが彼の日常だ。寝台の中で小さく丸まったトールが衣擦れの音に反応して身じろぐのを眺めながら、コウライギは鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で龍袍を身に纏う。
 ただ抱いて寝るだけだったトールにごくごく軽く触れるようになってから、今日で四日になる。日に日に寝不足が顔に現れる様子は可哀相でもあるが、コウライギに心地良い満足感をもたらした。
 彼が毎晩のコウライギからのちょっとした触れ合いに対して性的に反応してしまっていることを、コウライギは知っている。そしてその上で気づいていない振りをしている。
 触れ合いと言っても、耳や首筋を撫でたり、額に口づけているくらいだ。その程度で反応して真っ赤になり、昂ぶってしまう身体を持て余すのは、トールに性的な経験がない証拠だろう。王のために降臨する瑞祥なら当然といえば当然のことだが、目の前にいる自分の瑞祥が手つかずの無垢な身体であることはコウライギにとっても安心できる事実だった。
 飼い犬に手を出すつもりはないが、他人に手を出させるつもりは尚更ない。自分だけの犬だと思えばますます可愛く思えて、コウライギは毎晩のようにトールに触れるようになった。
 それに、コウライギにはもう一つ確かめたいことがあった。トールがいつになったら自慰をするのかということだ。
 毎晩腕の中でもぞもぞしている様子はあるものの、自慰のために寝台を抜け出した様子はない。日中は常に側仕えのライソウハが近くに控えているし、夜になればコウライギが訪れる。彼が一人きりになる時間など、実質ほとんどないと言っていい。
 だからこそコウライギはトールが自慰をするのを楽しみに待っている。気配に敏いコウライギなら、トールが寝台を抜け出そうとするだけで気づくことができる。今は我慢しているようだが、それは永遠には続かないはずだ。自慰をしているトールのもとに踏み込んでみせたら、彼はどんな顔をするだろう。そう思うと楽しみでならない。
 眠気と性欲、その二つの欲求に悩まされるトールを見守ることが、ここ数日のコウライギの娯楽になっていた。
 布の沓をしっかりと履き、コウライギは裾を払ってトールの眠る寝室を後にする。扉の前に控えていた衛士が跪礼した。
「拝見国王陛下」
「立て」
「はっ」
 立ち上がった衛士がすかさず先触れに向かった、その後を追うように階段を降りていく。
 昨日も、上奏の途切れた合間に晧月宮へ顔を出したところ、王の到着を告げる先触れによって午睡から起こされたのか、長椅子に座った上半身をふらふらさせながら目を擦っていた。眠くて堪らないだろうに、うっとりと開いた双眸をこちらへ向けて微笑むトールはいじらしかった。それで、ここ数日増えた触れ合いのためにコウライギを意識していることはわかっていたにも関わらず、つい膝に載せてしまった。
 案の定頬を染めて恥ずかしそうに身じろぎを繰り返すトールの額や頬に戯れの口づけを落とすと、彼は首筋まで赤くして瞳を潤ませた。
 それに全く気づいていない風を装って色々と語り掛けてやると、言葉を理解していないトールはそれでもじっと黙ってコウライギの話を聞いていた。
 夏の今なら水浴びをするのが楽しいだろう。近いうち手が空いたら王宮内の泉に連れて行ってやる。お前は泳げるのだろうか。泉は深くないから、泳げなくとも充分涼めるはずだ。暦が進んで秋になれば市井で祭が行われる。市井の子どもたちが食べるような菓子も、祭の時ばかりは常より色とりどりになって目を楽しませる。お前にはそれらを好きなだけ選ばせてやる。そんなことを語り掛ける度に、トールは軽く首を傾げてからこくりと頷いた。
 コウライギの体温が暖かかったのか、穏やかな口調が眠りを誘ったのか、やがてトールはコウライギの腕の中で本格的に眠り込んでしまった。眠れない夜を過ごさせているのはコウライギ自身であるというのに、静かな寝息を立てる様子を見ていると起こすのが忍びなくなった。
 そんな彼を抱えているうちにコウライギ本人もうとうとしてしまったのは、やはりトールという飼い犬の存在が彼にとっての癒やしだからだろう。
「国王陛下、おはようございます」
「早いな」
 塔の階段を降りているところでトールを起こしに来たライソウハに遭遇して、コウライギは含み笑いを隠した。
「……今朝のトールの朝食には、ロンエンを煮た粥がいいだろうな」
 歩みを止めて言えば、跪いていたライソウハが深く頭を垂れた。
 ロンエンは香りの良い木の実の一種で、ほのかな甘みがあるものだ。米と一緒に煮ることで、その甘みが染み出して優しい味の粥になる。控えめな甘さを好むトールが喜びそうな指示に、ライソウハが柔らかく微笑んだ。
「すぐにご用意いたします」
 コウライギに礼をとってから素早い身のこなしと落ち着いた足取りで厨房の方へと向かうライソウハの後ろ姿を見送る。その姿が角を曲がって見えなくなってから、塔の最上階を振り仰いだ。
 今から新たに粥を煮始めるのなら、それに合わせてトールの起床時間も普段よりやや遅くなる。寝不足の目を擦る姿を思い出し、コウライギは口元に笑みをのぼらせた。
「これでもう半刻は眠れるだろう? トール」
 それから、コウライギは何事もなかったかのように再び歩き出した。


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