12


 その日の夜、夕食も湯浴みも済ませた徹はひとり寝台で丸まっていた。昼間の出来事が気になって、今日は一日中ずっとぼんやりしている。
 あまり食が進まない徹をライソウハは心配したが、ひとしきり熱の有無や喉の確認などをして異常がないとわかると困ったように微笑んでいた。立ち去る前に念のためと言って薬湯を用意しておいてくれたが、それも既にひんやり冷たくなっている。
 シンシュウランと呼ばれていた大柄な赤毛の男は、確かに他の人々のように跪いていたものの、コウライギとは随分親しそうだった。話している言葉の大半は解らなかったけれども、だからこそ二人の間にあるどこか気易い空気を察することができた。
 仲、いいのかな。
 何故だか不思議な寂しさを覚え、徹は上掛けの中で身体を縮こまらせた。大柄な方だった徹よりもずっと身体の大きいコウライギが使う寝台は徹が見たこともないくらい広く、その中で丸まっていると夏なのに妙に寒々しい。
 今夜がいつもの通りなら、もう少ししたらコウライギが来るはずだ。徹の隣に寝転んで、頭を撫でてくれる。コウライギがくれる体温は触れたところから徹の胸を暖かくしてくれるから、毎晩安心しきって夢も見ないくらい深く眠ることができる。
 だが、今夜に限ってはそれが楽しみだとは思えなかった。早く会いたいけれども、反対に会いたくないような気もする。
「コウライギ……」
 彼がその場にいないことを解っていながら、徹はそっと呼びかけた。その声が自分で思っていたよりも心許なくて、じわじわと眉を下げる。やっぱり早く来て欲しい。寂しい、寂しい。
 この寂しさはどこから来ているのだろう。
『トール』
「っ、え」
 扉の開く音にも、近づいてくる気配にも気づかなかった。唐突に呼び掛けられ、慌てて上げた徹の頭に、ぽんと暖かな掌が載せられる。見上げたコウライギは、楽しそうな含み笑いを浮かべていた。
『吾を待たずに寝るつもりだったのか?』
 問い掛けられるが、徹は反応を見せずに布団から身体を起こした。コウライギは話し掛けてはいるものの、徹の反応を期待していないからだ。
 ぐっと伸び上がり、彼の首に腕を回す。厚い胸板にぴったりと耳を寄せると、触れ合ったところを通してコウライギの低い笑い声が響いてきた。
『可愛らしいことだな』
 くしゃりと前髪をかき混ぜられ、視線を上げる。コウライギは片腕を徹の背中に回してひょいと持ち上げると、あっさり引き剥がして寝台に座らせた。自分も裾を払って座り、衣服を脱いでいく。
 何となく体温が離れるのが寂しくて、きゅっと腰にしがみついた。今度はそれを止められず、精緻な刺繍の施された上衣を脱ぐ時に外された腕をまた戻される。布の沓を脱ぎ捨てたコウライギが寝台に上がるのに合わせて懐に擦り寄ると、抱き寄せて背中をさすられた。
「コウライギ」
『ん? どうした』
 多分、コウライギにとって、徹が彼の名を呼ぶのは犬の鳴き声のようなものなのだ。だって徹はコウライギの飼い犬だと、彼がはっきり言っていたから。
 犬なら、主人の親友のはずだ。
 そう考えた途端に寂しさの正体がわかったような気がして、徹はコウライギを見つめたままほんのりと頬を染めた。シンシュウランがコウライギと親しげだったから、少し嫉妬してしまったのだ。自分がコウライギにとって一番近しいものでありたかったから。コウライギの犬だから。
 きゅ、とコウライギの服の裾を握り締める。気恥ずかしくてそのまま俯くと、コウライギの指がゆっくりと徹の髪を梳いた。
『今夜はいつもより――だな。――シンシュウラン――ではないが、――したくなる』
 コウライギの口からシンシュウランの名前が出て、徹は彼の腕の中でますます身体を縮めた。毎晩コウライギと眠っているのはシンシュウランじゃない、徹だ。ぐりぐりとコウライギの胸に頭を寄せると、くつくつと笑い声が降ってきた。
『トール、良い子だ』
 コウライギの指が髪を撫でる。ひとしきり頭の形を確かめる動きをした指先が、ゆっくりとうなじに降りてきた。
 ぴく、と身体が小さく反応する。
 コウライギは気付かない様子で徹のうなじを何度もなぞっている。そのうち彼の指は首へと回り、顎を持ってくいと上げられた。
 青とも緑ともつかない彼の瞳の色が、灯りを落とした部屋の中で月明かりだけを受けて深みを増している。吸い込まれるようにコウライギの瞳を見つめる徹に、彼が目を細めた。
 顎に触れていた指先が徹の唇を辿る。下唇を軽く押され、緩く開いた口の中に指先が入ってきた。舌に触れたコウライギの指が思っていたより硬くて、徹はどぎまぎしながら舌を奥に引っ込める。それを追うように口を開かされ、舌を撫でられて、思わず小さなため息が零れ落ちた。
 徹の頭を抱え込んでいたもう一方の掌が、宥めるように背中を行ったり来たりしている。どうしたらいいのか解らなくてじっと見つめたコウライギの瞳が月明かりにとろりと光っているようで、呼吸が妙に浅くなる。
 開きっぱなしの口が気になって閉じようとするのと同時に指先を引き抜かれ、図らずもちゅっと音が鳴る。それが堪らないほど恥ずかしくて伏せた瞼に、コウライギが優しく口づけた。
『おやすみ、トール』
 不思議な触れ合いの終わりを告げるように、コウライギがぽんぽんと徹の背中を叩いた。彼がそのまま目を閉じたのを声も出せずに見守って、徹は全身を硬直させたまま唇を震わせた。
 しばらくして、すう、とコウライギの寝息が聞こえてくる。そうして初めて、徹は自分自身の異常に気付き、かあっと頬を赤らめた。
 どうしよう。俺、おかしいのかも知れない。
 その夜、徹は一睡もできないまま朝を迎えた。


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