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 コウ国に瑞祥が現れたことによって国民たちは沸いた。瑞祥はごく珍しいものだ。どの王の代にも現れるとは限らない。良い王のもとにだけ出現し、天災を抑え、実りを豊かにすると伝えられている。
 実際、例年なら起こってもおかしくはない筈の旱魃が今年は気配すらなく、民たちは瑞祥のお陰だと言って喜んでいるそうだ。市井では、誰も見たこともないはずの瑞祥の絵姿が飛ぶように売れているとも聞く。
 瑞祥の側仕えという光栄な役目を与えられたライソウハは当初、周りの人々から大層羨ましがられた。先代の瑞祥は女性だったため宦官や女官が側についたと記録にあるが、今回の瑞祥は男性だ。官吏なら宦官でなくとも瑞祥の側仕えになれるのではと誰もが色めき立った。その地位にライソウハが就けたのは、ひとえに彼の義理の兄のお陰だろうと、散々陰口も叩かれたが、実際その通りだろう。
 だが、瑞祥が降臨してから三ヶ月経った今では、ライソウハを羨む者はほとんどいない。その一番の理由は、瑞祥が言葉を解さず、また、学ぶ機会を完全に奪われていることにあった。
 瑞祥が言語を解さないというのは通例通りのことだ。瑞祥とはそういう生き物なのだ。そして、側仕えの役割はそんな瑞祥に言葉を教えることだ。
 だが、問題は国王陛下にその心積もりが全くないことだった。
 国王陛下はサーシャさまに何も教えるつもりがなかった。ライソウハにも言語を教えることを禁じた陛下は、陛下自身の名前を教えたきり、それ以外は何も教えようとはしなかった。それどころか、瑞祥に首輪をつけ、飼い犬のように鎖で引いて連れ回す。
 官吏たちが瑞祥の側仕えになりたがるのは、言葉を教えることによって意思の疎通が出来る立場になるからだ。瑞祥ほど王に近しくなれるものはなかなかいない。瑞祥を通じて王に便宜をはかって貰うことが最大の利点でもある。
 だが、言葉を教えることを禁じられたなら意味は全く違ってくる。利点が全く期待できない以上、瑞祥の側仕えという立場は一介の使用人にも劣る。
 羨まれていたはずのライソウハは、むしろここのところ哀れまれることが多くなった。
「義兄上」
 鎖に繋がれて王に連れて行かれたサーシャを見送り、細々とした用向きをこなすために宮中を歩いていたライソウハは、回廊の向こうから歩いてきた義兄の姿を認めて礼をした。
「おお、ライソウハか」
 大らかな笑顔と共に礼を返してきた義兄は大柄な国王陛下よりも更に上背のある偉丈夫で、コウ国の上将軍の地位にある。普段なら腰に佩いている硬剣を外しているのはここが宮中だからだが、それがなくても武人だと一目でわかる身体つきをしている。
「遠征からお戻りでしたか」
「ああ。北方の蛮族が抵抗著しくてな。手こずったが、何とか片付いた。あちらにはセイショウカンを残してあるし、当面は大きな動きもないだろう」
「それはようございました」
 副官の姿がない理由を知って、ライソウハは頷いた。上将軍の様子を見るに、大きな被害もなかったということだろう。戦場に近寄ったこともないライソウハにはとても想像ができず、複雑な笑顔を浮かべる。
 戦の話を逸らすように、上将軍が微笑んだ。
「どうだ、瑞祥は」
「……相変わらずです」
 早速訊ねられて、ライソウハは表情を曇らせた。
「陛下か」
「ええ……。言葉を教えることを禁じられているばかりか、陛下は度々サーシャさまに鎖をつけて引き回していらっしゃいます」
「おいおい、そのサーシャさまは一体どんな方なんだ。そんなことをされて怨みに思っていないのか」
 不思議そうに問い掛けられるのももっともなことだ。国王陛下は未だに瑞祥を王妃にするでもなく、言葉を教えるでもなく、中途半端な扱いしかしていない。どんなつもりでそうしているのか知らされもしないまま、ただ漫然と日々を送るばかりで既に三ヶ月だ。
 ライソウハはもどかしさに唇を噛んだ。
「義兄上なら陛下の真意をお尋ねできるのではないですか」
「吾が訊いたところで答えて貰えるかは解らんが……。だが、このまま放っておくのもあまり良いとは言えんなあ」
「お願いします、義兄上。このままではサーシャさまがお可哀相です」
 上将軍の言葉に、ライソウハは縋るような眼差しを向けた。その視線を受けて上将軍が苦笑する。
「あー、わかったわかった。可愛い義弟の頼みだ、確かめてきてやる。ったく、コウライギの奴、何を考えているんだか」
 ぽんぽんとライソウハの肩を叩いてやる。上将軍は再びゆったりと歩き出しながら、深々と溜め息を吐いた。


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