7


 コウライギはモンゴル遊牧民かと思ったら、中国の皇帝だった。
 正確には皇帝ではないのかも知れないが、徹が連れて行かれた先が紫禁城めいた城であったのは確かだ。どうやらテントは所詮テントであったらしく、徹は驚きを通り越して一種の呆れのようなものを覚えた。
 恭しく跪いた数え切れないほどの人々を横目に、コウライギは集団の先陣を切って颯爽と歩く。その後ろをついて歩く徹は、歩幅の違いから時折小走りになっている。かなり早いペースで歩いてはいるが、時々走らないと置いて行かれてしまうからだ。
 歩きながら時折コウライギが跪く周囲の人間に指示を飛ばしている。彼に声をかけられた人々が頭を深く下げて頷き、素早く立ち上がってどこかへと去っていくから、きっと何らかの指示を出しているのだろう。
 徹はコウライギの地位が予想していたよりもずっと高いことを確信した。自分が頼ってもいい相手ではなかったのだろうか。そう思ってはみても、まだコウライギのことだってよく知らないのに、彼以外の人を知るはずもない。徹は少しだけ不安を瞳に滲ませて、コウライギの後を追った。
『トール』
 追いつけなくて距離が開いたところでコウライギが振り返った。ちょい、と手招きされて小走りになると、彼はようやく合点した様子で足を止めた。
『――』
 何か言われて、「いいな?」とでも言うように顔を覗き込まれた。理解はできなかったが頷きを返すと、コウライギは徹の頭を撫でてから腰を抱いて今度はゆっくり歩き始める。
 大きな門をくぐった先、巨大な建物の中には赤く塗られた柱が立ち並んでいる。コウライギに連れられるまま歩いて行くと、やがて彼はひとつの扉の前で立ち止まった。そこを守るように立っていた男たちが素早く扉を開く。ぽんと背中を叩かれて足を踏み入れたその部屋は、中国皇帝の居室ならこうだろうと思うような場所だった。広々とした部屋のそこかしこに見られる繊細な装飾、木目の美しいテーブルや、見るからに価値のありそうな絵。精緻な透かし彫りのされた戸が開け放たれた向こうには、天蓋つきの寝台が見える。
 深い色合いの椅子に座るよう促された徹は、そこに腰掛けて所在なくテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろしたコウライギを見た。テントで床の敷物に直に座っているのとは違い、どうにも緊張してしまう。
『――』
 息苦しくなって学ランの襟を緩めようとすると、コウライギはひょいと腕を伸ばし、興味を引かれた顔つきで徹の学ランに触って何か言った。彼が着ているのも豪華ではあるが袖がゆったりした詰め襟の服なので、もしかすると襟の共通点について言及したのかもしれない。
『――?』
 何か問い掛けられ、首を傾げる。コウライギの手が服にかかるのを見守っていると、彼は徹を促して自分の目の前に立たせ、学ランを観察しながら前を開いていった。コウライギの体格は大きく、彼自身は座ったままなのに立っている徹とほとんど目線が変わらない。二メートルは優に越しているだろう。いつも他人を見下ろす側だった徹はこれほど大きな体格の人間になど会ったことはないのに、圧迫感や恐怖感は特に感じないのが不思議だった。
 学ランの前がすっかり開いたところで、コウライギが徹に向けて顎をしゃくる。続けろ、ということだろうか。戸惑いながらも自分でシャツのボタンに手をかけた徹を彼は黙って眺めている。  シャツのボタンを外し、上着を脱いで、促されるまま中のTシャツも脱ぐ。コウライギの視線が下半身に向いたので、ベルトを外し、靴を脱いでスラックスも脱いだ。
 着衣を乱しもしていないコウライギとは対照的に素肌を晒している。それがだんだん恥ずかしくなってきて、顔が火照る。それで靴下を脱ぎながら縋る眼差しでコウライギを見たが、彼は腕組みをしたまま尚もじっと徹を見つめるばかりだ。
 何が言いたいのかはわかっている。だけど、下着は脱ぎたくなかった。これを脱いでしまったら完全に裸になってしまう。
「う……」
 しばらく見つめ合い、とうとう徹は根負けして下着を脱いだ。顔が熱い。きっと首まで真っ赤になっているはずだ。
 ふうん、とでも言いたげにコウライギが唇の端を吊り上げた。
 自ら進んでのことではないが、学校の方針で柔道をやっていた徹の身体には、その身長に見合った筋肉がついている。それでもコウライギに比べればその身体は薄っぺらく、徹の視線はふらふらと宙をさまよってから下へと落ちていく。
『――』
 何やら呟いて頷いたコウライギがパンパンと二度手を鳴らした。途端に一人の男性と数人の女性たちが頭を下げて入室してくる。彼女たちは戸惑って硬直する徹にてきぱきと服を着せていった。ゆったりとしたズボンと脚絆、それに布の靴を履き、和服に似た筒袖の長衣の上に袖のない服を重ね、装飾のついた帯を締める。
 着付け終えて頭を下げた女性たちに鷹揚に頷き退室を促したコウライギが、はっきりと笑顔を浮かべて徹を眺めた。着慣れない服だが、問題はなかったようだ。裸にされたのは恥ずかしがったが、着替えさせたかっただけなのだとわかって徹は納得した。
 部屋にはコウライギと徹以外に、先ほど入ってきた男性しかいない。徹を見たままのコウライギが何かを男性に言うと、彼は徹に深々と頭を下げてから、徹の横に立ってコウライギに跪いた。手を床につけ、頭を三度下げる。それからその姿勢のままじっと徹を見た。
 同じ事をしろと言いたいのか。ちらりとコウライギの様子を確認すると、跪いたままの男を差し、そのまま徹を指差した。
 迷わなかったかと言うと嘘になる。何しろその姿勢は土下座と同じだったからだ。困った顔になった徹は、それでも無言のままコウライギにじっと見られているうちに観念した。躊躇いながらもゆっくりと跪き床に両手を置く。コウライギを見上げていた視線を伏せて頭を下げる。一度、二度、三度目で、何故だか彼にはそうして当然なのだという気持ちになった。最後に頭を下げきった姿勢のまま沈黙していると、頭に手が置かれたのがわかった。
 そろそろと顔を上げた先で、コウライギが満足げな表情で微笑んでいる。顔を上げさせられ、頬を撫でられてからゆっくりと喉元を辿られながら、徹は自分が正解したことに安心していた。


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