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 コウライギは満足していた。良い統治者のもとに稀に出現すると言われる瑞祥が彼の手の中に現れたばかりではなく、それが人間の姿をしていながら人間の言葉を解さないことが喜ばしかった。
 幼い頃からコウライギは様々な言葉の毒を喰らって生きてきた。妬み、憎しみ、嘘に虚飾。陰謀に裏切り、打算も蔑みも、全て言葉の持つ毒ばかりだ。王位継承者になるはずのない第三王子に対して、誰もそれらの言葉を取り繕おうとはしなかった。特に、王太子の出来が過去数代にわたっても例がないほど優秀だと言われていたから、尚更。優しくしてくれる大人は王位継承権を返上して丞相の地位についていた叔父くらいのもので、将来は大した権力も握れはしないだろうと側仕えにすら軽視されていたコウライギは、汚い大人たちの言葉を散々呑まされて育った。
 どちらかと言うと学芸に秀でていた第二王子が、武功を上げるために赴いた僻地で肺炎を拗らせてあっという間に逝去した十年前も、コウライギは侮られていた。王太子が健在だったためだ。
 しかし、その後王太子が遠乗り中の落馬事故によって逝去すると、途端に彼の周囲の人々は掌を返したようにコウライギに擦り寄ってきた。
 誰もに侮られていたコウライギは、しばらくは能無しを装ってへらへら笑いながら彼らの嘘ばかりの言葉を聞いていた。彼らがコウライギの手で次々と処断されたのは、彼が王として即位してすぐのことだ。
 血で玉座を洗ったとまで言われた。
 即位してから五年が経つ今でも、人々はコウライギを恐れている。それなのに、彼らは内心の恐れを隠してコウライギに媚び諂うのだ。コウライギはそんな欺瞞を憎んだ。それはひいては人間への嫌悪感に繋がり、彼はすっかり人間嫌いになっていたのだった。
 コウライギは手綱を操り、馬の歩みを少しばかり緩めた。すぐ横を走る馬車の窓に馬を近づけると、そこから外を眺めていたトールがコウライギを見つけてごく薄く微笑んだ。それに柔らかく微笑みを返しながら、コウライギは既に彼を得難いものだと感じている。
 トールは天帝の遣いだ。人間が持つはずのない黒色の髪と瞳、それに不思議な形をした黒い衣がそれを誰の目にも明らかに証明しているし、更に信じられないことに、彼とは言葉が通じなかった。
 この世界で言葉を解さないものなどいるはずもない。記録にある瑞祥はどれも皆言葉を解さなかったと知ってはいたが、この目で見るまでは信じられなかったものだ。
『コウライギ』
 トールが少しだけ窓を開いて彼の名前を呼ぶ。それはトールがただひとつ知っているこの世界の言葉だ。
 トールは名前を名乗ることができた。彼にも彼の言葉があり、それはこの世界の言葉とは異なっているのだろう。だが、コウライギは構わなかった。言葉など通じない方がいい。言葉さえなければ、欺瞞も虚飾も生まれないからだ。
「もうすぐ王宮に着く。しばらくそこでおとなしくしていろ、トール」
 理解できないとわかっていながら語りかけてやる。トールは僅かに首を傾げたが、ひとつ頷いて見せると、うっすらと笑みを浮かべて頷きを返してきた。
 表情が薄く、首を傾げたりそっと身体を寄せてきたりするばかりのトールは、その身体の小ささもあってまるで稚い子犬のようだ。その微笑みすらよく見なければわからないところもいい。媚びに慣れていない証拠だからだ。
 安心した様子のトールが再び外の景色を眺め始めたのを確認して馬を離すと、ホウジツが後ろから近づいてきた。
「お前は人間嫌いだったのかと思ったが」
 どこか心配げな様子の叔父に、コウライギは喉をクッと鳴らした。
「人間は嫌いだ。……だが、トールは人間というよりは子犬のようだと思わないか」
「コウライギ。相手は瑞祥だぞ」
「何を心配しているはわかっている。吾にはあの子につらく当たるつもりはない」
「それならいいんだが……」
 尚も懸念を言い募ろうとしたホウジツを遮り、コウライギはにやりと笑う。
「トールは本王の王妃にする」
「こ、コウライギ」
「それとも白痴が良いか」
 絶句したホウジツに畳み掛けると、今度こそ彼は沈黙した。コウライギの教育係を務めてきたホウジツは、恐らく誰よりもコウライギの性質を理解している。
 人間が嫌いで信じられないと常日頃から言うコウライギは、王妃を娶れと言われる度に、言葉を理解できない白痴なら娶っても良いと返してきた。多くの官吏たちはそれを結婚を嫌っての言い訳だと思っているが、ホウジツはそれがコウライギの本心だと知っていた。
「……どちらにせよ、帰宮してから話そう」
「それでも構わんが、本王が意思を変えることはないと知れ」
「……一如尊命」
 ホウジツが諦めたように嘆息した。王であるコウライギに真っ向から反対できるホウジツさえ納得させられれば、後の尚書や官吏たちなどどうにでもできる。
 コウライギは満足そうに頷くと、馬の腹を蹴って走り出した。


一如尊命…御意

※中国語の少し古い言い回しをベースにお話を構成しているため、あえて白痴という言葉を使っていますが、差別的な意図はありません。


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