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 結局俺は下駄箱の前に突っ立ったまま、和泉との間にあったことを洗いざらいぶちまけることになった。
「大丈夫、先生にはちょっと思い知らせておくから」
 にっこり微笑んだ始に、どこか東山にも似たおそろしさを覚える。目がまるで笑ってない。
 首筋がすうっと冷える錯覚すら感じて硬直した俺に、始は今度こそ温度のある笑顔を向けてきた。
「やっぱり保健室に行こう。大丈夫、白金(しろかね)先生にはきちんと釘を刺しておくから」
 行こう、と促されて歩き出す。先ほどまでその保健室行きを選択肢から外していた始が前言撤回した理由も気になるが、何となく逆らえない。俺ってもしかしなくてもこいつに頭が上がらないかも。さっきすげえ怖かったし。
 保健室は教室棟の一階の隅の方にあった。俺はこれでも健康な方で、中学時代も一度しか保健室には行ったことがなかった。滅多なことではお世話にならないつもりだった保健室に、入学してからほんの二週間で早速行く羽目になっているのはどうかと思う。まあ制裁に遭うよりはだいぶマシだが。
「失礼します。……あ」
 ガラッと引き戸を開け、始が保健室に入ろうとして足を止めた。俺も始に倣って立ち止まる。
「ちょっと先生と話してくるから、ここで待ってて」
 目の前でピシャリと扉が閉じられる。何を話すんだ。
 扉の向こうからは早速何らかの話し声が聞こえてくる。……今、痛いって聞こえた気がしたんだが、何をやってるんだ。胡乱な目つきで扉を眺めていると、ほんの数分で始が再び扉を開けた。
「お待たせ。さあ入って」
「失礼します……」
 足を踏み入れたそこは、何のことはない普通の保健室だった。医薬品が並んだ棚、本棚、簡易診察台、それからベッド。そこを隠すためのカーテンは、今は引かれている。
「いらっしゃい」
 デスクを背にして、回転椅子に座った男が会釈した。同じように会釈を返す。多分彼が保健医の白金だ。多分駒場と同じくらい背が高くて、同じくらい顔立ちが整っている。会釈をした時に揺れた少し長めの髪が、均一ではない複雑な色合いをしていた。
 この学院の教師は和泉を除けば概ねまともなんだが、こいつはどうだろう。
「じゃあ、俺は戻るけど。……いいですか、何もしないでくださいよ。こいつ俺以外に知り合いいないんですからね」
「はいはい。あー残念」
「白金先生!」
「わかりましたーってば」
 始はやたら白金に釘を刺していたが、時間を気にして立ち去った。もうすぐ授業が終わってしまうし、そうしたらサボタージュ扱いされてもおかしくはないからな。
「まあ座れよ」
 言い置いた白金は席を立って電気ケトルに水を入れ始めた。
「お茶? コーヒー?」
「お茶をお願いします」
「ん」
 セクハラ大魔王だと聞いていたが、案外対応がまともだ。あっという間に湯が沸いて、白金が俺に湯呑みを差し出してきた。お茶と言うから日本茶かと思ったら、意外にも中身は烏龍茶だった。ふわりと香る柔らかな後味に特徴を見つける。
「珍しいですね。高山茶ですか」
「わかるお前が珍しいよ。好きなの? 烏龍茶」
「ええ、まあ」
 頷くと、しばし沈黙が落ちる。不意に白金が勿体ねえな、と呟いた。
「お前ほんと始以外知り合いいないの」
「まだ入学したてですから」
 あと駒場と伊都のせいで知り合いはこれ以上増えそうな気がしねえ。嘆息したくなるのをこらえ、代わりにお茶に向かって息を吹きかけた。
「あー相手が始じゃあなあ……せっかく面白そうだと思ったのに」
 どういう意味だ。湯呑みから視線を上げて白金を見ると、言葉通りつまらなそうな顔をしている。
「何がですか」
「お前と、」
「おい白金、頭痛薬くれ頭痛薬……」
 白金が何か言いかけたのを遮る勢いで扉が開けられた。反射的に振り返った先に今一番会いたくない奴を見つけ、俺は投げやりな気持ちで烏龍茶を啜る作業に戻った。もうやだこいつ。誰かに仕組まれてんじゃねえの。


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