第五話 ガラスか石の仮面
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 おそらく伊都の親衛隊による制裁に対して、始は冷静だった。教科書やノートはべちゃべちゃにされたが、始は午後最初の授業が終わる前に俺に小さなメモを押しつけてきた。気分が悪くなったふりをしろ、と書いてある。
 どういうことなのか内心首を傾げつつも、俺は返事代わりに腹を押さえてうーんと小さく唸った。
「先生、榊原くんの具合が悪そうなので保健室へ連れて行きます」
 あっさり挙手した始が言うのに反応して、教師が俺を見た。俯いているから顔は半分隠れているが、念のため眉を顰めて辛そうな顔を作っておく。
「午前中に吐き気がすると相談されていたんですが、もう無理そうですし……」
 なるほど、そういうことか。始は保健委員だから違和感もない。
 目的は相変わらず見えないものの、始の台詞に合わせて俺はか細くため息を吐いた。
「吐きそう……」
「中野くん、はやく連れて行ってあげなさい」
「はい。……大丈夫か、立てる?」
 グロッキー状態を装うと、慌てた教師が始を促した。そうだよなー教室で吐かれたら授業どころじゃないもんな。俺はこくこくと頷くと、始の腕に縋ってふらつきながら教室を出た。
「……で、どうしてこんな真似を?」
 教室を出た途端に足を速めた始は、奇妙なことに昇降口へと向かっている。問いかけるといかにも楽しそうに微笑んだ。
「伊都さんの親衛隊がやりそうなことくらい、わかってる。……ほら、間に合った」
 下駄箱から取り出した靴を俺に押しつけ、始も自分の靴を手に取った。
「靴? どこか行くんですか?」
「確保しに来ただけ。あいつらの行動が予想以上に早かったから教科書はやられたけど、もう何もさせないから。ほら、今は授業中だし、親衛隊も動けないだろう? 靴なんかはいたずらされる可能性があるから、今日から毎日持って登校すること」
 いいね? と念を押されて頷く。制裁とはつまりいじめだ。前世でもいじめには遭ったこともなかったから、俺は教科書の件でもそこそこ衝撃を受けていた。
 だけど、始はむしろ面白そうというか、敵を見つけて目を輝かせているくらいだ。内心少しばかり気落ちしていたのが、お陰ですっかり晴れてしまった。
「登下校はどうせ一緒だからいいよね。念のため今日から俺の親衛隊も混ぜて複数で行動しよう。とにかく教室棟に私物は置かないこと。あとで教室に戻ったら体操着なんかも回収しよう」
「はい。……あの、何だか手慣れてませんか」
 それにしても発言が的確だ。もしや始はいじめに遭った経験があるのだろうか。心配になって尋ねると、彼はクスクスと笑った。
「俺はいじめられたりしてないよ。ただ、こういう知識は多少あるんだ」
 よくわからんが、これも危機回避スキルの一種だということだろう。
「俺は一応授業に戻って、晃人は保健室に……あー、行ったことにするのがいいと思う。ほんとは寮に帰って欲しいんだけど……」
「僕、保健室に行きましょうか」
「それはやめとけ」
 始が柔和な顔つきを歪め、頭痛をこらえるような表情になった。
「あそこの保健医は人にちょっかいかけまくるのが趣味なんだ。セクハラされるぞ」
「寮に戻ります」
 セクハラなんてとんでもない。俺は先週和泉にやられたのでとっくに懲りている。あれから和泉は俺に性的なちょっかいをかけてこなくなったが、二度とあんな思いはしたくない。引き攣った笑顔になった俺に、今度は始が心配そうな顔をした。
「どうした、晃人。誰かにセクハラされたことあるのか」
「ええと……」
 ここで認めるべきか、認めないべきか。正直なところ、和泉にセクハラされたのは始に言っておいた方がいいような気もするが、そんな真似をされたこと自体を知られるのも恥ずかしい。こんないい年しておいてセクハラもくそも……あ、いや、俺は今はまだ十五歳なんだった。
 よし、話そう。始はダチだし、こいつならきっと今後あんなことがないように対策も考えてくれそうだ。
「あの、実は、和泉先生にちょっと……」
「……へえ。和泉、先生に。……あの野郎……」
 あ。始の目が据わった。


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