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 会計の伊都に遭遇するという幸先の悪すぎる朝の出来事はあったが、それ以外は何事もなく午前中が終わった。
 朝のあれは俺がひとりで居たから避けられなかったというか、まあ俺の方から首を突っ込んだのが敗因だった。そもそも朝っぱらから盛ってんのが悪いんだけどな。
 だが、俺には始がいる。危機回避は得意なんだと言う始と一緒に行動していれば駒場は避けられるはずだし、そうすればこれ以上の面倒事はないだろう。駒場は俺のところにわざわざ顔を出しにきたりなんかしねえからな。
 そう考えて安心していた俺は、ちょっと油断しすぎていたんだろう。
 というのも、始と食堂で昼飯を食っていたところに駒場が現れた時、俺はぽかんとそいつの顔を眺めることしかできなかったからだ。そりゃ誰か親衛隊持ちが入ってきたのは騒々しくなったからわかっていたが、まさか俺のところに来るとは考えねえだろ、普通。
「晃人」
「あっ晃人死んだな……」
 駒場に堂々と名前を呼ばれた瞬間、向かいに座っていた始がほとんど吐息のようにそう呟いたのが聞こえた。やめろ。俺は死なねえよ。いや、死ぬかもしれん。東山が恐ろしすぎる。
「駒場……さま」
「何故すっぽかした。約束を忘れたのか」
「き、記憶にございません」
 笑顔をこわばらせて返答している間にも、食堂のざわめきは大きくなっていく。何で駒場さまが、とか、あの平凡誰、とかそんな言葉が喧騒の大半を占めているように思われる。つまりあれだ。俺への批判だ。
 批判を生み出している張本人はというと、普段から黄色い悲鳴を聞き慣れすぎているのか、完全に気がついてすらいないような顔でじっと俺を見ている。気づけ。お前の軽率な行動のお陰で俺の命が危ない。
「駒場さま、申し訳ありませんが、ここで僕に話しかけるのは……」
 きっぱり断ろうとしたところで、わっと食堂の入り口あたりで生徒たちが沸いた。
「伊都さま!」
「うおお伊都さーんっ」
 駒場の次に聞きたくない名前を聞いて、俺は笑顔を凍りつかせた。立ち上がったりしている生徒たちのために姿は見えないが、この食堂に現れたのは間違いないだろう。
 駒場の時は悲鳴が黄色いが、伊都の場合野太い声が混ざってなんとも言えない。黄土色と表現すればいいのか。逃げ場を失って虚ろな笑顔を顔に貼りつかせた俺は、とにかく伊都はこっちくんなと念じるしかない。
「伊都」
「こんなとこにいたの〜、シンちゃんってば俺を置いていっちゃうんだもん、ひどーい」
「シンじゃねえ、新だ」
 来やがった。
 俺は体裁を取り繕うのもやめて駒場を睨んだ。貴様のせいだ。巨大な目印になりやがって。だが駒場は伊都の方を向いていて俺の視線に気づいてもいない。くそ。
「あれ〜? そこに居るのって、もしかして今朝の清楚ちゃん?」
「あ……」
 誰が清楚ちゃんだ。ちょっと前のアイドルの名前と似た響きで呼ぶんじゃねえ。
 周囲からの視線がばしばし突き刺さる。やめろ。やめてくれ。駒場ひとりでも目立つのにそこに伊都を加えるんじゃねえ。伊都の親衛隊にまで絡まれたくねえんだよ!
「伊都、お前いつこいつと知り合ったんだ」
「えー、シンちゃんこそぉ〜」
「あの……」
 返すべき言葉を選べずに絶句する俺の肩を、始がそっと叩いた。諦めの滲む笑顔だった。
 ドンマイ晃人。


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