第四話 蓼食う人々
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 一昨日は中野の世話になった。昨日はカップ麺で済ませた。何のことかって、夕食の話だ。
 俺はあれだけ調理器具だの食材だのを買い込んだ癖に、先日の電子レンジ事件に恐れをなして……いや、慎重になって、一度も自炊をしていない。
 それがあまり健康的でないのはわかっている。特に買ってしまった食材はさっさと消費しないと痛んで使い物にならなくなる。中野に頼んで俺の部屋で調理して貰うことも考えたが、駒場のことがどうしても引っかかった。
 あいつ、自分の部屋に食事をしに来いって言ってたんだよな。俺が在室の時に押しかけて来られたら立場上断りきれる自信がない。
 さて今夜はどうしようかと考えながら身支度を整える。
 今日はようやく金曜日。今日さえ乗り切ればここに来て初めての週末だ。嫁さんに会いたくてたまらん。だが、流石に入学して一週間で実家に帰るなど、俺のプライドが許すはずがない。あーそれにしても眠い。窓から桜が見えるせいだな。
 そんなことを考えながら部屋を出た途端、俺はその場で硬直した。
「ん? ああ、晃人か。おはよう」
「おはよう……ございます……」
 何故ここに駒場が居る。
 いや、同じ棟に住んでいるんだから鉢合わせてもおかしくはないんだが……こいつ、俺の向かいの部屋だったのか。道理で先日も真っ先に駆けつけてきたはずだ。
 一人部屋の特別棟を使っている人数はごく少数で、一つの階に一学年が割り振られている。教員も同じ棟の別の階だしな。だから同じ一年生である駒場が同じ階に住んでいるのも当然なのだが。
 しかし、それにしても避けようと思っている人間が向かいの部屋とは、俺も運が悪い。
 俺が戸惑っているうちに、駒場はさっさと歩き出した。よし、先に行ってくれ。俺は充分な距離を開けてから行く。
「どうした? 行かないのか」
 だが、駒場はすぐに立ち止まると俺を振り返った。どうした、はこっちの台詞だ。東山の駒場さま講座によればお前は超俺様なんじゃなかったのかよ。こんなところで思いやりを発揮するんじゃねえ。
「いえ、忘れ物を思い出しましたので、駒場さまはお先にどうぞ」
「忘れ物?」
 駒場の眉が跳ね上がる。何だよ。穏便な言い訳だっただろうが。
「……ふん。一分だけ待ってやるからさっさと取って来い」
 東山の説明間違ってなかったわ。超俺様だわ。ガキに偉そうに指図された俺は内心で般若の形相になった。勿論長年の訓練の賜物で、そんなことはおくびにも出さない。少なくともこの学院の中で、生徒会会長に逆らうほど俺は冒険したがりではないからな。
 あーでも会長に逆らうのと、親衛隊に睨まれるのと、どっちが面倒が少ねえんだろうな。副隊長の東山であれだったんだ、隊長ともなればどんな化け物が出てくるとも知れない。
「早く行け」
「はい……」
 前門の虎と後門の狼なら、俺はとりあえずその場しのぎで後門を取る。


 駒場は俺に向かって何かあったら頼らせてやるだの、飯を食わせてやるから今夜こそ部屋に来いだの、昨夜は何を食べたのかだの、とにかくひたすら話しかけてきた。半分は聞いちゃいなかったが、とにかく全てにはいはいと生返事を返し、はいじゃ済まなかったら適当に返事をした。その間俺は死んだ魚の目をしていた。
 で、案の定教室棟に着いた途端に周囲に騒がれた。通学路でもかなりざわめいていたが、もうこれ以上俺が失えるものなどない。
 駒場は俺の死人のような顔色に気づいていないのか無視をしていたのか、じゃあ今夜、なんて言って去って行った。Sクラスのあいつとは教室が違っていることにこれほど感謝したことはない。まあどうせ俺の運命は確定済みだがな。
 そして俺はある意味予定通り、駒場の親衛隊隊長に呼び出された。中野には散々心配されたが、流石に呼び出しにまで付き合わせるほど女々しくはない。俺は意を決して呼び出し場所に向かった。
「君が、榊原晃人くん?」
「はい……」
 どんな化け物が出てくるかと身構えていたが、親衛隊隊長だと名乗るその生徒は、少なくとも見たところまともそうだった。
「用件はわかってると思うけど」
「わかっています……」
 がっくりとうなだれる俺に、隊長は困ったように微笑んだ。
「これが最後の警告だから。……同じ棟に住んでいる以上、遭遇しやすいのは理解できなくもないけど。次がないように、無理にでも避けることをお勧めするよ」
「そうします……」
 親衛隊は二度警告する、ってことか。
 少なくとも隊長が話のわかりそうな奴で良かった。事情を話したら情状酌量とか何とかなんねえかな。
「次に何かあったら、俺はもう千種(ちぐさ)を抑えられる自信がないからよろしく」
「千種?」
「この間会ったんじゃないか? 東山千種。うちの副隊長」
「ああ……」
 要するにあいつが制裁担当なのか。人形のように整った顔の両目を限界まで見開いた姿を思い出し、俺は背筋を震わせた。うん。駒場より東山の方が怖えーわ。


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