6


 俺が間髪入れずに断ったからか、あるいは断られることそのものを想定していなかったからか、男はしばし言葉に詰まって黙り込んだ。何故俺がお前の部屋に行かなければならないんだ。俺は今すぐ一人になりたい。そしてもうシャワーは諦めたからドライヤーで髪を乾かしたい。断固として刈り上げさせてくれなかった母親のせいで俺の髪は頬にかかる程度には長く、それが冷えて真剣に寒い。
「深読みする必要はない」
「してません」
 意味がわからないがとりあえず即答しておいた。男はますます変な顔つきになっている。そんなに断ったのが意外かよ。お前の部屋はどれだけ人気スポットなんだ。遊園地か水族館が中にあるって言うのなら納得してやらないこともない。
「……俺の部屋で飯を食わせてやるって言ってるんだよ。今夜はカフェテリアには行きたくないだろう」
 そんなことさっき言わなかっただろ。つうか言外に今夜のカフェテリアでの話題が俺の電子レンジ煙幕事件で持ち切りになることを匂わせるんじゃねえ。おっさんにも人並みの羞恥心はあるんだよ。
「お気遣いはありがたいですが、もう食欲もないのでお構いなく」
 やんわり。ここは良家の子孫としてやんわりだ。そろそろ堪忍袋の緒がぶち切れそうになるのを抑え、ことさら優しい笑顔を浮かべる。駄目押しに、小首を傾げて奴を見上げた。
 俺はこの、小首を傾げたりする媚びた仕草が心底嫌いだ。嫌いなのだが、幼少の頃からこれをやると大概の我が儘は通った。というかほとんどうざく絡んでくる父親を泣かさずに振り払う時にやった。こいつもうざったくいつまでも構ってくるから有効である可能性が高い。
「っ……わかった」
 効いた!
 内心は屈辱感でいっぱいだが、俺はこいつがようやく立ち去ろうとする意志を見せたことに安堵していた。
「もう何もするなよ」
「はい。それでは、おやすみなさい」
 同い年のくせに何様だ。帰れ。かーえーれ!
 じわじわと男を部屋から出し、最後に軽く会釈してドアを閉じる。
 ぱたん。これでやっと一人になれた。
「……あー疲れた……」
 ドアに背中で寄りかかり、俺は体裁を捨ててどっと息を吐き出した。がっくりうなだれると、視界の端に何かが映った。
「あ」
 サングラスを忘れていた。
 主に精神的な疲労で重い身体を動かして床に落ちたサングラスを拾う。いつでもかけていたつもりだったが、焦りすぎてすっかり失念していた。
 サングラスとは言っても、見た目は普通の眼鏡だ。視力には全く問題がないので、サングラス用のレンズを嵌めてある。ほとんど透明だが僅かに灰色の入ったそれは、俺の目の色を僅かながら隠すために役立っている。
 フランス人の母親の遺伝で、この身体はあまり日本人らしくない。全体的に線が細くてなよなよしているし、髪の色は金に近いから定期的に染めないと黒くできない。目が青いのも不満だ。日本男子たるもの、髪も目も黒であるべきだ。
 だが、持って生まれたものは変えようがない。俺の視力が悪いならともかく、完璧な健康体で色つきのコンタクトを使うのもどうかと思うし、第一、目にものを入れる奴らの神経が理解できん。
「はあ……」
 俺はドライヤーで髪を乾かしてからサングラスをかけると、電気ケトルに水を入れた。幸い、昼間に大量に買い物をした時にカップ麺も買ってあった。電気ケトルなら間違いもないだろう。
 じっとケトルを見守る俺の腹が、きゅうと鳴いた。うるさい黙れ。


Prev | Next

Novel Top

Back to Index