5


 明日から俺の評判は電気レンジの使い方も知らない箱入り野郎で確定だな。
 俺は未だに少し焦げ臭い匂いの残る部屋でがっくりと俯いていた。あれだけもうもうとしていた煙も今はすっかり晴れているが、問題の電気レンジの中身は当然ながらひどい有り様だ。後でこれを掃除しなければならないことを考えるだけでげんなりしてくる。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした、わざわざ来ていただいて……」
「気にするな、どうせ同じ棟だ。中等部の奴らもよくやらかす」
「中等部……」
 しかも俺のやらかしたことは中坊並みか。恥ずかしいってレベルじゃねえぞこれ、生き恥だろ。明日学校行きたくねえ……。
 暗澹たる気持ちでいる俺の顔を見て、一応救助してくれた野郎が苦笑している。軽々と警報器のボタンを押して警報音を止めてくれたこの男は、俺よりだいぶでかい身体をしている癖に、ネクタイは高一の赤いものだ。成長期か。くそ、俺だってこれでも百七十はあるのに。来年には追いついてやる。前世では百八十ちょいあったんだからいけるはずだ、遺伝子的に。
 だが、今はそれよりもさっさと服を着て髪を乾かしたい。忘れてはいけないが、俺はシャワーから上がったままなのだ。髪から滴る水滴は勢いをなくしているものの、肌に触れた水で体温が奪われる。とにかく礼を言ってこいつ追い出そう。そしたらもう一度シャワーで温まろう。よし決めた。
「あの、ありがとうございました。本当に助かりました」
 身体が冷えてぷるぷる震えそうになるのをプライドで堪え、俺は出来る限り愛想よく微笑んでみた。男が部屋のど真ん中に突っ立ったままじっと俺を見下ろす。近いからなおさら身長差が激しく出る。畜生見下ろすんじゃねえ。
「……名前は?」
 はあ?
 こいつは何を言っているんだ。前後の文脈が読めないどころか日本語が通じねえのか? 呆れたような顔になりかけたのを我慢する。頬が引き攣っているのがわかるが、まあ許容範囲だろう。
「榊原です。すみませんが、僕はそろそろ……」
「榊原。名前は?」
 だから榊原つってんだろうが。もうやだこいつ。シャワーは後にするとして、とりあえず服を着るか。出て行くなり残るなり勝手にしやがれ。
 意思の疎通を放棄してクローゼットから部屋着を取り出す。ほら、あれだよ運動する時に着るやつ。これは俺が榊原利晃だった頃から絶対に譲れなかったもののひとつだ。どんだけ妻と息子にダサいと言われようが、部屋着はこいつとタンクトップって決めてんだよ。あー嫁さん今はどうしてんかな……。
 ごそごそ服を着ている間に、誰かが来ていたらしい。奴はドアのあたりで誰かと話していた。心配いらない、とか何とか言っているので、おそらく先ほどの火災警報関連だろう。まあ、助かった。自分で説明したら絶対顔から火が出る。
 タンクトップを被って顔を上げると、奴は俺のすぐ目の前に立ち、相変わらず棒立ちで俺を眺めていた。だから近いんだよ。つーかもういいから帰れ、さっきの誰かと一緒に帰れ。じっとこちらを見下ろして物言いたげにしているが、何かまだ用でもあんのか。
「どうかしましたか」
「フルネームは?」
 しっつけえなこいつ。わざわざ横文字で言い直してきたのはあれか、お前は俺の方こそ日本語が通じてねえって思ってんだろ。名乗る意義が見い出せねえんだよ察しろ。見た目がガキだからって馬鹿にすると締めるぞガキが。
「……榊原晃人です」
「晃人」
 ようやく俺の名前を聞いて、男が頷いた。誰も名前で呼べとは言っていない。
 妙に偉そうに笑った男が、こちらに腕を伸ばしてくる。煤でもついてるか? と思ったが、そうではなかったようだ。指先が俺の髪をすくい上げ、水滴を拭う。そうだな、この水が垂れたら濡れて寒いよな。お前さえ出て行ってくれたらドライヤー使えるんだがな。
 胡乱げな目で男の挙動を観察していると、男がフッと笑った。無駄に偉そうだ。
「お前が気に入った。晃人、今から俺の部屋に来い」
「いえ、結構です」
 この俺に命令するんじゃねえよ、ガキ。


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