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 榊原利晃としての人生が終了してから四十九日後、俺は弟の嫁さんの腹に宿った。何か嫌な言い方だな。要するに、俺は榊原利晃の甥っ子として生まれた。
 確かに前世の記憶を持って転生するっていうのは衝撃的なことだと思う。だが、俺にとってはまず何よりも、弟が父親だっていうことが衝撃だった。考えてもみろ、ほんの数ヶ月前までは俺の腹心の部下として働いていた取締役の弟が、俺に向かって目尻下げてニヤニヤしてるんだぞ。気持ち悪いどころの話じゃねえ。


 生まれたてのガキは数ヶ月ほど外界をほとんど認識できない。目が弱いのだ。だからその間俺は赤ん坊らしく泣いたりお漏らししたり母親のおっぱいに吸い付いたりしていた。その頃の記憶はあまりない。赤ん坊は頭も弱いんだよ。
 俺の父親は居ないんだか忙しいんだかで、俺はとにかく母親とべったり過ごしていた。おっぱい吸って泣いてお漏らしして。
 で、生まれて大体一年間くらいそうしてから、俺は徐々に周囲の状況を認識し始めた。
 俺の名前は何だ。それが真っ先に気になったことだった。俺は「アキちゃん」と呼ばれていた。アキという名前なのか、何々アキなのか、アキ何々なのか、はっきりしろ。そんなんじゃガキが自分の名前を正しく認識しないじゃねえかよ。俺は自分だって自分の息子の名前を略して呼んでいた癖にそんな不条理なことを考えて悶々としていた。が、それはすぐ解決した。両親以外の人間が俺を「アキトさま」と呼んだからだ。
 アキトさま。さま。様って。俺はどんな家に生まれたんだよ。気になるが、俺はまだ「あー」とかしか喋れない。物理的な問題だ。
 そうこうするうちに、俺は一歳の誕生日を祝われることになった。
「お父さまが久しぶりにお帰りになるのよ」
 俺の、やっと最近人間を見分けられらるようになった視界で、金髪の女がそう言って微笑む。ここ一年間ずっと聞いてきた声で。何だか見覚えがあるような気がするが、他人の空似だと思いたい。
 どこかで見たどころではない。俺はおそらくこの女の名前どころか詳しいプロフィールも知っている。
 まさか……まさか、な。
 激しい不安に駆られる俺を尻目に、誕生日パーティの準備が整えられた。やたらでかい家だなとは思っていたが、そのやたらでかい庭が飾り付けられていく。テーブルが幾つも並んでいき……おい何だこれは。結婚式でもするのか。
「あうー」
 駄目だ。意志疎通できるだけの発声能力がない。俺は短い腕で目を覆った。あうーじゃねえ。
 俺は、というか俺の両親は予想以上の大物だったようだ。俺の誕生日パーティと銘打たれたガーデンパーティには数百人の人間が集まった。やめろ。恥ずかしいから即刻やめろ。思いは伝わらないし、赤ん坊が嫌がったところでぐずっていると思われるのがオチだ。俺は早々に諦め、パーティが始まるのを待った。
 俺の誕生日パーティは恙なく進んだ。はずだ。やたら大量に来ている客にいちいち挨拶されるうちに俺の赤ん坊並みの体力はそろそろ限界を迎えようとしていた。
 そこに、俺の「父親」がやってきた。
「すまない、遅くなった。フランスのストライキスケジュールを把握しておけば良かったんだが」
 嫌な予感が的中する。あの女が母親なら、こいつが父親でない訳がなかった。
 父親が俺の顔を覗き込む。
「待たせたな、アキト。誕生日おめでとう」
「っふぇ……」
 至近距離で確信した。こいつは榊原利晃の弟だ。そして俺は人生最大の泣き声を上げて泣き喚いた。
「ふぎゃあああーっ!」
 ……言い訳をさせて貰うが、でれっでれに相好を崩した弟が顔を近付けてきたら誰だってこうなる。特に感情のコントロールが難しい赤ん坊なら、なおさらな。
 どん底まで落ち込んだ弟を放置して俺は弟の嫁さん、というか母親に抱きついてそのまま眠った。それが俺の一歳の思い出だ。
 とりあえず、弟よ。今は父親だが。
 過去に聞いたことあるぞその言い訳。お前それ今は俺の母親でもある女との別れが惜しくて飛行機に乗りそびれた時に言ってたな。


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