第一話 終わったはずがニューゲーム 1
やりたいことは概ねやり尽くした。 初体験は中学二年の時に家庭教師の女子大生と済ませ、高校では剣道で全国大会に出場し、大学時代に起業した企業はすぐさま上場してどんどんその規模を拡大していった。良縁に恵まれて妻も貰い、利発な男の子を二人も授かった。自分の手で立ち上げた企業が海外に進出したのが三十代最高の思い出だ。 欲しいものは大概手に入ったし、行きたい国には軒並み訪れた。子どもたちも特に問題もなくすくすく成長し、父親の手がぼちぼち離れてきたのが四十代に入ったあたり。
あーいい人生だった。 思い残すことなんかありゃしねえ。
そう思ったのが今際の際、健康的で細胞が活発に活動しているついでにこれまた活発に増殖してしまった癌細胞のために人生を終えたのが榊原利晃(さかきばらとしあき)、四十四歳の春だった。 最期に病室から眺めた桜が綺麗だった。
で。 「思い残したことなんかなかったんだがなぁ……」 そのはず。確かにそのはずだ。 俺はこれまでの十五年の間に何度となく繰り返した台詞を吐き出す。仏頂面で鏡を眺めるが、そこに映る顔は若い。 榊原利晃が死んでから間もなく十七年。もうそんなに経ったのか。背後から聞こえる十七回忌のニュースを聞き流しながら俺はばしゃばしゃと勢いよく顔を洗う。 榊原利晃の葬儀は、盛大だったらしい。少し前に知った話だが。そんでもって榊原利晃が創立した榊原グループはそれこそ世界にも名の知れた大企業になったらしい。これはだいぶ前から新聞やニュースで知っていた話だが。 なので、十七回忌までいちいちニュース番組で報道する。今では軒並み大物になった当時の友人たちが列席するからってのも理由のひとつだろう。そこに自分も行かなければならないことを考えるだけで面倒でたまらない。 理由は俺の苗字がまたしても榊原であることから察して貰いたい。せっかくだから違う苗字が良かったが、こればかりは自分で選べるものでもない。 顔をタオルで拭ってからシャツのボタンを留めるために俯くと、やたら細い前髪がさらりと頬にかかった。髪質がやたらさらさらしているので坊主にも角刈りにもできないのが数年前まで不満だった。持って生まれたものは仕方ないと、今では諦めている。 トントン、とドアがノックされる。 「晃人(あきと)さん、そろそろ」 「はい」 白いシャツの上から喪服のジャケットを羽織れば支度は終わりだ。俺は入学の時期に合わせておろしたばかりのサングラスをかけ、部屋のドアを開けた。 父の秘書が会釈しながら少し眉を顰めた。いかん。面倒に思っていることがあからさま過ぎただろうか。俺は気持ちを引き締め、同じく会釈を返して歩き出す。 だが、俺が面倒に思うのも仕方のないことなのだ。 自分で自分の法要に参列することほど、馬鹿馬鹿しいことなんてない。
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