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「……待て。余が嫁とはどういうことだ」
「嫁だろ。そんなに細い腰をしといて何を言うんだ」
 男の聞き捨てならない発言に声を低くしてじっと彼を睨み据えるが、剣呑な視線を向けられた男は飄々とした笑みを浮かべるばかりだ。皇帝は苛立ちをその冷え冷えとした灰色の瞳に滲ませた。
「これでも過去には妻のあった身だ。子も二人いる」
「子どもか。男の子か? あんたに似たなら可愛いだろうな」
 男の浮かべた無邪気なほどに優しげな微笑みに戸惑い、皇帝は男から僅かに視線を逸らした。
「……それで、そなたは余の伴侶になるのか、ならないのか」
「なるよ。そのために俺を呼んだんだろ?」
 ごく軽い調子で答えられる。男の承諾を得て、皇帝は不思議な気分を味わっていた。いくら伴侶を召喚するための魔術を使ったとはいえ、こうもあっさりと受け入れられると逆に実感がついてこない。
「そうか」
 何か言わなければ。そう思うほど言葉に詰まり、これが皇帝の精一杯の返答だった。
「ああ」
 男が皇帝を見つめて目を細めた。そこには何の含みもなければ打算もなかった。純粋な好意を向けられているように錯覚しそうになるが、相手はつい先ほど初めて顔を合わせただけの人間だ。幾ら召喚術が二人を最適な相手だと判断したからといって、本当にそれでいいのだろうか。
 男の考えていることが理解できず、皇帝は二人の間で揺らめく燭台の灯りを目で追った。小さな炎が揺らぎ、光の残存が視界を滲ませる。夜の空気は屋内でもひんやりとしており、それが僅かな熱によって暖められ、緩慢に室内を循環しているのが感じ取れる。
 彼はひとつ息をつくと、ごく自然に男へと問いかけた。召喚されたのが女性ではなく男性だったと知って、まず最初に懸念したことだった。
「……そなたは、余が男性でも問題はないのか?」
「ん? ああ、問題はない。……俺はゲイだからな」
「ゲイ?」
 初めて聞く言葉だ。怪訝に思って聞き返すと、男が少し困ったような顔をした。その口許に苦笑が滲む。
「要するに、女がだめなんだ。……ここではどうか知らないが、俺のいた国では男は女と結婚すんのが当たり前だった」
 さらりと告げられた言葉に男の葛藤を感じ取り、皇帝は何も言わずに頷くだけに留めた。
「アクロワ先生から聞いたんだが、ここでは問題ないらしいな」
「ああ。跡継ぎを残す義務さえ果たせば自由だ。義務を果たしてから好いた者と一緒になる者は、特に王侯貴族には多い」
 実際、后であったジュスティーヌにも同性の恋人がいた。皇帝の子を産む役目を終えた途端にさっさと国へ帰ってしまったのは、その恋人のためだ。当たり前のことを不思議そうに訊かれたが、皇帝としてはそのことが不思議だった。彼の世界では同性同士は結ばれないのだろうか。それでは、お互いに想い合う同性の恋人たちはどうするのだろう。
「そうか……」
 先ほどと同じような言葉しか返せず、皇帝は内心で歯噛みした。正直なところ、それによって男がどんな苦労をしたのか理解できなかったのだ。漠然と、大変だったのだろうとは思うが、具体的なことは全く想像もつかない。こんな時、口下手な自分が少しばかり嫌になる。魔術師だったら何か上手い慰めの言葉を言えたのだろうか。そこまで考えてから、皇帝はふと顔を上げて微笑んだ。
「だが、そなたは余と結婚する。既に跡継ぎのいる余の結婚に反対する者などいない。安心して余に嫁ぐがいい」
 ぽかんと男が口を開ける。間抜けなはずの顔も男の顔立ちが美しいためにそうは見えず、そんな彼を眺めながら皇帝は内心で彼の美しさに感嘆した。
 皇帝が性別を指定しなかったのは確かだが、魔術師は立派な仕事をした。発言はやや軽薄だが根は真面目な魔術師のことだ、目を覚ませば褒賞は辞退すると言い出すだろうが、皇帝は彼に報いるつもりになっていた。魔術師は召喚術を成功させた。彼とうまくいくかどうかは、皇帝と男の間の話だ。
「明日、正妃となる者を重臣に紹介することになっている」
 呆けた様子の男に構わず、皇帝は言葉を続けた。相手に立場をわからせるためにも、はっきりと告げる。
「そなたは余の嫁になるのだ」
 満足げな笑顔と共にそう言った皇帝は、少なくとも目の前のこの男を気に入り始めていた。


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