皇帝の嫁取り 1
「余は嫁が欲しい」
執務室の豪奢な椅子にだらしなく肘をつき、ソーンツァ帝国第十五代皇帝アレクサンドル・ソーンツァが溜め息と共にそう言い出した時、魔術師はすぐ目の前のソファセットで青茶の香りを楽しんでいるところだった。
広々とした執務室には二人しかいない。普段なら室内で控える使用人が最低でも二人はいるのだが、彼らは青茶と茶菓子の用意を済ませたところで退出させてある。内密にしておきたい話があるためだ。
「嫁、でございますか」
片方の眉を吊り上げ、魔術師が皇帝の方へ向き直る。皇帝は羽根ペンの羽根を指先で弄り回しつつ頷いた。
「ああ、嫁だ。余を癒やしてくれる嫁が欲しくなった」
「さようですか。それは……急なお話ですね」
魔術師があまり気乗りしない様子で指先をくるりと回す。テーブルに置かれた焼き菓子の山から一つが浮き上がり、開かれた口の中にぽんと飛び込んだ。
「さほど急でもあるまい。后だったジュスティーヌが生国のリュンヌへ戻って三年になる」
「はあ」
「第二王子も四歳になり、そろそろものの道理を学ぶようになった頃であろう。……余は寂しいのだ」
冷酷さで臣下からは恐れられている皇帝が、周りに他の誰も居ないのをいいことに堂々と言い放つ。冷たい灰色をした瞳に見据えられ、魔術師が顔を逸らした。テーブルのティーカップを今度は自らの手で持ち上げ、まだ熱い青茶の美しい琥珀色を眺めてから口に含む。面倒事に関わりたくないことを態度で示され、皇帝が眉を顰めた。
「寂しいのでございますか」
「寂しいのだ」
言い募る皇帝に譲る気はない。これでも、随分と長いこと悩んだのだから。それを察したらしい魔術師は両手にティーカップを抱えたままソファに深々ともたれ、嘆息した。
「それをわたくしに相談されるということは、何の政治的なしがらみもない相手を何とかして見つけるなり召喚するなりしろということでございますね」
「余の意図をよく理解しているではないか」
「はあ……。かしこまりました。勅命とあらば。しかし陛下、召喚は非常に手間がかかるうえ、誠に疲れるものなのですよ」
「褒美は取らせる」
「しかしながら陛下」
魔術師があからさまに嫌そうな表情を浮かべる。皇帝は羽根ペンを弄ることをやめ、じっと彼を見据えた。背後の窓から射し込む光が皇帝の銀に近い色合いの金髪を照らし、その整った顔立ちに柔らかな陰影をつくる。真剣な表情で、皇帝が重々しく宣言した。
「これだけは切り札としておきたかったが……仕方あるまい。よろしい、今後はどの国の茶を好きなだけ取り寄せても構わぬ」
「承知いたしました」
「おお、そうか!」
魔術師が即答した途端、皇帝の氷のような冷たく整った顔が笑みの形に緩んだ。魔術師は相変わらず気乗りしない態度を崩さないが、少なくとも約束を実行に移すつもりであることは明白である。
「次の満月の夜、月が天空最も高く昇った時がよろしいでしょう」
「任せたぞワーニャ」
「陛下、あまり気易くお呼び下さいますな」
魔術師が苦笑し、すっかり空になったティーカップを置いて立ち上がった。
「では、わたくしは早速準備に取りかかりましょう。……陛下、この青茶も素晴らしいですね。エアラリス産でしょうか。いただいても?」
皇帝の答えを待たず、魔術師の指先に青茶の大きな缶が出現する。皇帝のために用意されたはずのそれを見やり、皇帝が諦めたように頷いた。しばらくは違う種類の茶で妥協するほかないだろう。
「侍従には伝えておく。好きにするがよい」
「ありがたき幸せ」
今度こそにっこりと微笑んだ魔術師が、次の瞬間にはどこかへと姿を消した。
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