俺は変態じゃない! 1
俺がこの世界に来たのは今からちょうど三年前、十四歳の時のことだった。
灰色の巨大な建物が聳える街、騎竜のような速度で走る四角い箱、そして流れの踊り子のような格好をした人々。
最初、俺は自分がどこかに売られてきたのではないかと危惧した。だが人買いの姿などなく、俺は雑踏の中独りきりだった。ここはどこなのか。不安の中でふらふらとさまよい、そして言葉が通じないと知った時の衝撃は、今でも忘れられない。
俺はシュワトロゼ王国の第二王子、トーマリステット・ファイサル・クオレヘルツ・シュワトロゼ。異世界に放り出された俺は、ただひたすらに孤独だった。
見たことも想像したこともない世界で困惑し、何日もさまよった。ケイサツダと名乗るやつにも追い回され、とうとう力尽きかけた俺を拾ったのは、今は義理の父親でもあるカズマだった。高貴な人間として、行うべきことを行う。その精神がこの世界にもあって、どれだけ安堵したことだろう。
元居た世界に未練はない。もともと後継者争いに巻き込まれ、望んでもいない王位を狙ったとして処刑される寸前だったのだ。俺の死体を見せられないのは申し訳ないが、俺が消えた方が兄上もまだ安心して王位を継ぐことができるだろう。
俺はカズマによって言葉を教えられ、この世界の仕組みを知り、名を与えられた。今の俺は、もう第二王子のトーマリステットではない。柴咲当麻(しばさきとうま)というのが、俺の新しい名前だ。今なら、当時散々言われたケイサツダというあれが「警察だ」と言っていたのもわかる。
俺は三年間、カズマの屋敷で家庭教師をつけられて学ぶことに打ち込んだ。もう準備は整っただろう、少しずつ世間に触れるといい。そう言ってカズマが手始めとして俺に勧めたのは、山奥に隔絶された高校だ。良家の子息ばかりを集めるのだから、下々の者たちとは一線を画す必要があるのだろう。この世界では通用するはずもない俺の身分に配慮して貰えたことを感謝しつつ、俺はカズマの選んだ高校に入学した。それが、昨年のことだ。
俺は誰にも身分を明かしはしなかったが、他の生徒たちから見ても出自が高貴であることは明らかだったのだろう。二年目になる頃には、俺は生徒会会長として選出されていた。
学園という小さな王国を手中にして、俺は感動していた。元居た世界で、例えどれだけ兄上が王として相応しいと思っていたとしても、俺とて全く王位に憧れなかったわけではないのだ。任されたからにはやり遂げてみせる。俺の学園生活は明るかった。
だが、物事はそう上手くいかないものだ。努力、才能、人望。その全てに恵まれた俺に、一つだけ足りないものがあった。
「柴咲ィ!」
びりびりと空気を震わせる声と共に、生徒会室の扉が勢いよく開く。
「……何だ、ユーリ」
「清水(しみず)と呼べ! そしてお前は何度言えばわかる! あれほど変態行為は慎めと言っただろうが!」
仁王立ちになり、ギリギリと俺を睨みつけているのは、風紀委員会委員長の清水裕利(ゆうり)だ。俺より頭半分ほど高い身長に、それ相応に鍛え上げられた身体つき。端正な顔立ちも相まって、王城の近衛騎士団に混ざっても違和感がなさそうだと常々思っている。
こいつは俺を目の敵にしているのか、しょっちゅうこうやって怒鳴り込んでくる。あと、清水という名字は発音しづらいのでユーリと呼んでいるが、それにもいちいち文句をつけてくるな。
「俺がいつ変態行為を行ったんだよ」
手許の書類から顔を上げて睨みつけると、ユーリがますます眉間の皺を深くする。
「貴様、先ほど親衛隊以外の生徒の尻を掴んだそうだな。正確には風紀委員のだ」
「あぁ?」
俺は眉を寄せ、記憶を振り返る。風紀委員というと、確か先ほど廊下で一人から書類を渡された。初対面だったので、礼儀に則って挨拶をしたはずだ。それの何がいけなかったのか。
「おい、覚えていないとは言わせねえぞ、柴咲」
「違ぇよ、掴んだんじゃない。揉んだんだ」
そんなことをわざわざここまで指摘しにきたのか。憤慨して言い返すと、ユーリが腹に据えかねたように唸った。
「それを変態行為と言うんだ!」
「あー……」
そういうことか。この世界では、初対面の相手に挨拶する際に尻を揉まないのか。まただ。また、カルチャーショックというやつだ。
「聞いているか柴咲、この変態生徒会長!」
風紀委員長の怒声を浴びながら、俺はがっくりとうなだれたいのを堪えた。
努力も、才能も、人望もある。外見だって褒めそやされるくらいにはいいはずだ。義理とはいえ父親には財力も権力もあって、俺に惜しみなく与えてくれる。
そんな俺に足りないもの。それは、文化の違いを把握しきれていないことだった。
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