9あんなことがあってからも、俺はファミレスに通い続けた。環がどんな事情であの怪我をしたのかは結局知らないままだ。環はしばらくファミレスに来なかったが、数日前からまた来るようになった。 あの夜、俺は日光アレルギーになってから初めて外泊した。半地下の部屋には日光は射し込まなくて安心できた。環とは散々キスをして、それからぽつぽつと俺の話をした。サッカーをやっていたこと。推薦で、強豪校に行けるはずだったこと。日光アレルギーを発症して、続けられなくなったこと。考え直して、将来はホームヘルパーの資格を取ろうと計画していること。 窓がないから昼間でも真っ暗な部屋で、俺は今まで話せなかったことを話した。環は脚の間に座った俺の頭を後ろから撫でながら、時々相槌を打っていた。 夜を待って帰宅したら両親が心配していた。不良に絡まれたところを助けて貰った。庇ってくれたひとが怪我したから服に血がついた。手当てをして、そのまま泊めて貰った。そのひとと仲良くなった。地下だったから日光も大丈夫だった。もうこんなことがないように護身術くらいは習いたい。そう説明すると、両親は心配しながらも喜んでくれた。友達ができたのも、俺が自発的に何かしたいと言ったのも、本当に久しぶりだったから。 あれから俺と環の関係は変わっていない。多分。ほとんど。 「忍」 声をかけられて、頷く。環が広げたカードの中から、ジョーカーではないものを引くのは難しい。どうやっているのか、いつもこれだと思って引くところにジョーカーが配置してある。 「ふ」 「またか……」 一度俺のところにきたジョーカーは環のところに帰ってくれない。それもいつものことだった。手のひらで操られているような気分にさせられるけれど、俺は環とするババ抜きが好きでやっぱりやめられない。 す、と伸びてきた環の手がカードのふちを次々と触っていく。何となしにその仕草を眺めていると、ふと指先が俺の薬指にはまった指輪に触れた。 「環、」 「しのぶ」 驚いて視線を上げる。環が絡みつくような目を俺に向けていて、途端に声が出なくなった。環の指が俺の指を一本一本撫でていく。ぱさ、と手に持ったカードが端の方からテーブルに落ちた。 俺たちの関係は変わっていないはずだった。あの夜から、何も。だって俺も環もいつも通りに振舞っていた。何事もなかったかのように。それでもいいから、環と居られればいいからと、思って。 「いつも、静かな目をしていると思ってた」 環の話はいつも唐突だ。指に与えられる刺激に背筋を震わせている俺を見て、環が肉食獣に似た笑みを浮かべる。それに自分でも不思議なほど煽られて、目を細める。 「それを揺らしてやりたかった。ずっと。お前が俺に気づく前から」 その言葉は俺の中にしっくり収まった。そうか。じゃあ、落とされたのは俺の方なのか。先に首輪をつけられていたことに、納得する。 「あそこの席。知らなかっただろ」 環が指差したのは、俺がいつも座るあたりからは少し離れたテーブルだ。そこから見てたのか。俺を。 「悔しいか」 含み笑う環の、その少し明るい色をした両目はひたりと俺に据えられている。絶対に逃さないと、はっきり告げている。 ファミレスで何をやっているんだ。そう思わなくもない。だけど、俺たちの周りの席はすかすかで、それに深夜のファミレスには大概変わったお客さんが来るものだ。 ばさりと手から残りのカードを落とす。俺に触れていた手を掴んで、その薬指に思い切り噛みついた。これでおあいこだろ。 見上げた先の男は、至極満足そうに笑っていた。 End. |
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