13


「拝見国王陛下」
「良い。他に誰もおらん」
 天上の遊戯を見せてやるからと霽日宮に呼ばれたシンシュウランが通されたのは、玉座の間ではなくコウライギの居室だ。夕陽が射し込む部屋の前で跪いて礼をとるシンシュウランに、コウライギが手許に視線を落としたままひらひらと手を振った。
「珍しいな。瑞祥は?」
「……トールなら皓月宮で休んでいる」
 立ち上がり、室内に足を踏み入れながら問い掛けると、途端にコウライギの顔が苦虫を噛み潰したようになった。それに対してつい、にやりと笑いが浮かぶ。また何か面白いことでもあったのかもしれない。
「どうした。今度は何をやらかしたんだ?」
「まるで吾が年中トールを怒らせているような口振りだな」
「違うのか?」
「……」
 揶揄う口調で畳み掛ければ、黙り込んだコウライギがようやくこちらに咎めるような視線を向けてきた。だがシンシュウランはどこ吹く風といった様子で視線をかわし、そのままコウライギの左側の席に腰を下ろす。
「それが、お前の言っていた天上の遊戯か?」
 コウライギが卓に広げているのは、見たこともない札だ。ざっと見たところ数は三十以上あるだろうか。一枚一枚に不思議な記号と数字が記されている。
「ああ。とらんぷというものだ。お前もやるか?」
「それは興味深いが、それよりお前がサーシャさまに何をしでかしたのか聞きたいな」
「……怒らせてはいない」
「なら話してみろ。いつもならとうに皓月宮のあの塔に戻っている頃だが、こんなところで何をしている。まさか瑞祥を吾に会わせたくないというだけではないだろう」
 わざと突っかかってやると、コウライギが眉を吊り上げた。そうやって不服そうな顔を見せられると、皆で悪さをしていた頃を思い出す。あの頃からやや短気なコウライギは度々周囲の人々と衝突していた。その尻馬に乗るのがシンシュウランで、尻拭いをするのがセイショウカンだった。
「閨でのことだ。話せるか!」
「閨? 初めてでもあるまいし、何を今更……まさかお前、その馬鹿でかいものを捻じ込んだとは言うまいな」
「……昼に様子を見に行ったが、まだ夜の名残が抜けていなかった。今夜も抱いたら抱き潰してしまいそうだ」
 視線を逸らして低く言ったコウライギに呆れ、シンシュウランは身体を思い切り椅子の背凭れに倒した。
「はぁー……瑞祥のあの子どもみたいな身体が見えていないのか? お前は瑞祥を抱き殺す気か。もっと慎重に扱ったらどうだ」
「わかっているが、な……」
 ふ、と息をつき、コウライギが手許の札を集めだした。綺麗に揃えて束にしたそれをじっと眺め、油紙に包んで懐にしまう。コウライギがシンシュウランを呼んだ理由がそれでないことなど、最初からわかっていた。
「もう時間がないか」
 声を抑えて問い掛ける。コウライギはじっとシンシュウランを見据え、ひとつ頷いた。
「そろそろ行動に出てくるだろう。……トールにだけは万が一のことがあってはならない」
「瑞祥を害することはないと思うが……そうだな。人質に取られでもしたら要求を呑まされかねないのは確かだ」
 考えを言葉にすると、コウライギの表情が沈んだ。じっと俯き、唇を結んでいる。さらりと肩から落ちた金髪が彼の顔を半ば隠しているが、その心中はシンシュウランにも察せられた。
「そう深刻になるな。サーシャさまには吾たちがいる。吾たちが駄目でも、ホウテイシュウもいるだろう」
「……ホウテイシュウか……。あれはあれで心配だ」
「まあな……」
 今度はシンシュウランがため息をついた。五年ほど顔を合わせていなかったとはいえ、伊達に長年付き合ってきていない。ホウテイシュウが瑞祥へ向ける視線の意味には薄々気づいていた。
 だが、ホウテイシュウは根が真面目な人間だ。瑞祥本人がコウライギに想いを寄せているとわかっているからには手出しをすることはない。はずだ。王と瑞祥と丞相の息子で痴情のもつれなど、考えただけで頭が痛くなる。ここはホウテイシュウの良識を信じたいところだ。
 ただ、彼の気持ちを察してなお護身術の講師を任せているのはコウライギだ。少なくとも彼はホウテイシュウを信じているのだろう。だが、彼の立場も複雑だ。果たしてどう転ぶのか。
「……まあいい。それより、次の癸の日に遠乗りに出る。護衛の人選は任せた」
 話題をかえたのはコウライギだった。王族特有の暗青緑色の瞳に金色の睫毛がかかる。その視線の先、卓には腹部だけ赤い色をした濃緑色の鳥が刺繍された手巾が一枚広げてある。それを認めて、シンシュウランはゆっくりと頷いた。
「リョクコウケンか……」
「ああ。グエンがトールに渡したものだ」
 リョクコウケンという名の美しいその鳥は、美しさを象徴するものだ。贈り物にこの鳥を象ることで、相手の美しさを賛美することになる。ただし、隣国チョウハクでは意味が変わる。
「心得た」
 頷いたシンシュウランは、いつもの癖で茶杯を取ろうと伸ばし、それから手を引っ込めた。
 卓には確かに茶壺も茶杯もあるが、それらは恐らくシンシュウランが来る前に女官が用意したものだろう。冷め切っていると思われるそれを飲む気になれず、深々と椅子に背中を預けた。
「ライソウハの茶が飲みたいな……」
「……これが済んだら、あいつはしばらく宿下がりさせてやる」
「期待しておく」
 自分を慕ってくれる可愛い義弟を思い出し、シンシュウランは依然眉を寄せたまま少しだけ微笑んだ。


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