2予備動作も開始の合図も必要ない。脇腹に向けて勢い良く蹴り出した脚は避けられた。その足を地面につき、勢いを殺さずに一回転して踵を叩き込む。腕で防いだそいつの頭に向けて、握り合わせた両手を振り下ろす。動きに合わせて髪から水が飛び散った。 腰を落として一歩下がった胸に頭突きを食らわせると、相手が小さな吐息をこぼした。うまいこと上体を逸らして衝撃を弱められた、だが構わず追いすがるようにして膝を鳩尾に向けて突き上げる。さっと横にかわされ、身体の開いたところに拳を食らわされた。 「ぐっ」 一歩、よろめいた。すかさず身体を落として前に転がる。俺の居た位置に叩き込まれた蹴りが空を切ってビュッと音を立てた。 間合いなんて不要だ。俺は姿勢を低くしたまま奴の軸足を狙って掌底を叩き込む。その膝が素早く後方へ飛び退いて、逆の脚が俺の喉を狙って蹴り出された。攻撃しようとしていた掌で受ける。掴んだ脚を力任せに引こうとした途端に爪先が俺の鳩尾を抉り、ぐっと呼吸が止まった。 手の力が緩んだ隙を狙って脚が引かれる。まずい。咄嗟に飛び退くには姿勢を低くしすぎた。両手を地面に叩きつけるようにして全身を横に飛ばす。更に蹴りを放とうとした奴の軸足へと足払いを仕掛ける。だが、奴は振り上げた脚をそのまま踏み降ろしてきた。フェイク。 「っぐあ」 伸ばした脚を思い切り踏まれて痛みと共に姿勢を崩しかける。苦痛をこらえて踏まれた脚を力いっぱい引くが、そいつは体勢を崩す前に脚を上げて俺の喉元目掛けて蹴りつけてきた。咄嗟に腕で防ぎ、両脚で地面を蹴る。 防いだ腕をもう一方の腕で支え、全体重を載せて肘を突き出した。入った。だが、奴の拳もまた俺の喉のあたりを強かに打ち据える。がぐっ、と喉が嫌な音をさせた。 気が遠くなりかける。視界がぐらぐら揺れる。だが俺の本能は揺らいでいない。霞む視界に映る影を狙って拳を振るう。 ドッ、と鈍い手応え。今度こそ入った。 「くは……」 奴の声が零れて、全身がぞくぞくと震える。こいつを地面に這い蹲らせたい。顔面がぐちゃぐちゃになるまで殴りたい。欲求に従って突き上げた膝を受け止められ、そこから強く押し返されてバランスが崩れた。 「……っ!」 受け身が取れず、背中から地面に叩きつけられる。歯を食いしばって衝撃に耐えたところで脇腹を鋭く蹴られた。 「ぎっ!」 激しい痛みが二度、三度と続く。体勢が悪すぎる。俺は横に転がって、腹を踏みつけようとした脚を避けた。手をついて立ち上がると同時に突進し、膝を狙って掌底を繰り出した。その膝が、急に俺の狙っていた高さからがくんと下がる。 「なっ……」 突然身体を落とした奴が笑みを浮かべる。予想外の動きに驚く間もなく、両膝を地面についたそいつの拳が俺の鳩尾に突き刺さった。 「が、あっ!」 跳ね飛ばされるようにして、俺は地面に崩れ落ちた。容赦ない攻撃に視界が白くなり、呼吸が停止する。どっと両目から涙が溢れる。 「……っか、は……っ」 何とか身体を動かそうとするが、腹を庇うように丸まった姿勢から身動きができない。辛うじて視線を上げると、奴は相変わらず優しげな微笑を浮かべて俺に向かって屈み込んできた。 すっ、と手が伸ばされる。上半身をよじって逃れようとする俺の首に奴の手が添えられ、ぐっと圧された。緑色の目が心底楽しそうに細められる。 「はい、おやすみ」 的確に捉えられたそこが頸動脈であることを知覚する前に、俺の意識は途切れた。 |
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