グリーンアイドモンスター 1
けだものだな、と思う。
縄張りを持って、強さだけを競って、腹が減ったらメシを食らって、眠くなればそこいらで寝る。性欲はあっても寄ってくる女に突っ込む気が起きないのはどいつもこいつも匂いがきついから。小学校で教師を殴り飛ばしてそいつの歯を折ってから、俺はずっとそんな風にして生きてきた。
どんな奴にも人間の屑だと呼ばれてきたし、実際その通りだ。仕事だの何だのでほとんど不在にしている親は稀に顔を出すたび吐瀉物を見る視線を向けてきた。生活費は振り込まれるが、ほとんど手をつけたこともない。通いの家政婦が作るメシは数日置きに帰宅して流しに放り込む。
ポケットにねじ込んだ金がなくなればそこいらの奴を殴りつけて奪ったし、苛立ちが募ったら近くにいた奴を蹴り飛ばした。理性なんか必要ない。屑は屑らしく暮らして、そのうちどこかで野垂れ死んだらいい。
喧嘩には作法も糞もない。拳も使うし得物も使う。顔面が陥没するまでボコボコに殴って、顔に跳ね飛んだ血飛沫を拭うのはすっきりしていい。手当たり次第に喧嘩しているうちに、自分からふっかけなくても常に誰かに恨まれるようになって、力が尽きて死ぬまで殴り合えそうな気がして愉快になった。そんなことをしているうちに狂犬と呼ばれるようになっていた。
けだものだ。本能のまま、見た目だけは人間として生きている。どうせなら見た目も毒虫のようにしたらいいと思って髪を赤と緑に染めた。他人のピアスを引きちぎったのが面白くて自分でもあけた。まともな奴はそれだけで俺に近づかなくなった。
高校を二度退学になって、業を煮やした親が寄付金を積んで俺を転入させたのは、山奥にある牢獄のような学院だった。金は充分に支払ってあるから、お前みたいな屑でも大学まで卒業できる。そう言われて駄目押しで顔に現金をぶちまけられた。俺が理性のない狂犬なら、こいつは金で何でも買えると思っている豚だ。
それから、俺はここにいる。
「あの、柏(かしわ)さん……がぁっ! あーっ!」
ぼんやり窓の外を眺めていると、声をかけられた。無言で裏拳をぶち込んでやると、そいつが顔を抑えてうずくまる。手の甲に血がべったりついた。殴ったことに理由なんてない。
静かなざわめきが教室に広がり、俺は鼻先でせせら笑う。不良が集まるFクラスとやらに、実際のところ大した不良なんて居なかった。転入そうそう喧嘩を売られたから何人か病院送りにしてやったら、それ以来自称不良どもは俺の顔色を窺うばかりだ。
「……話しかけんじゃねえ」
ぺっと唾を吐き捨てる。どうせなら鈍器持って殴りかかってこい。俺は虫のように丸まったそいつを蹴り飛ばして教室を出た。いぎゃあ、と背後からまた上がった呻き声はなかなか悪くなかった。
俺が頻繁に来るようになってから一気に人口密度が減った裏庭は、ぼんやり眠るにはちょうどいい日当たりで気に入っている。
ごろりと横たわり、何も考えず目を閉じる。頭の下で手を組むと、先ほどの血がぬるりと滑った。何ヶ月か切っていない髪で適当に拭う。目を閉じたが、眠いわけではない。やることがない。
思考を完全に止めて本能だけで動く。それが一番得意な俺は、やはり人間よりは動物に近いんだろう。はっきりした意識で瞼越しの陽光をじっと感じる。
遠くで鐘の音が何度か鳴り、太陽の位置が頂点を越えて傾きだしたのを感じた時、ふと目の前が陰った。
「柏くん。柏龍成(りゅうせい)くん」
知らない声だ。身じろぎもせずにそれを無視する。顔のすぐ横に立った脚は、いつでも俺を踏みつけられる位置にいる。
「無視しないでくれよ、柏くん」
笑いの滲む声。人間の気配が動いて、顔面に液体がびしゃびしゃと浴びせられた。匂いがしない。水だ。
ぱち、と目を開く。俺を覗き込むように、一人の生徒が立っていた。ネクタイの色は緑色。二年だ。既に十八歳になっている俺よりひとつ年下。
金に近い色の、柔らかそうな髪がふわりと落ちる。端正で優しげな顔立ちのなかで、影になった両目が緑色をしていた。誰だったか、どこかで見た覚えがある。
「なあ、僕とやらないか」
ほとんど優しいと表現してもおかしくないような口調で言うそいつの手には、空になったペットボトル。こいつも狂人だな、と頭のどこかで思って、俺はゆったりと立ち上がる。
ひとつ瞬きをすると、濡れた睫毛から水が涙のように滴った。
|