9意識が緩やかに浮上する。それは底につくほど深く潜ったプールの底で、ふっと全身の力を抜いた時の感覚に似ている。身体が浮き上がり、自分の周りがだんだん明るくなってきて、身じろいだ途端に水面に出る。ざばっと。 「ん……」 目を開けると明るかった。入学してからほんの数週間しか経っていないが、それでもそろそろ見慣れてきた寮の部屋。 俺はぼんやりとその天井を見上げた。桜を見て眠くなったあとは、大概こうだ。眠りは死に似ていると、そういやどっかの誰かが言ってたが、そういうことなのだろう。まだ半分夢の中に浸ったような意識であたりを見回して初めて、俺はここが自分の部屋でないことに気がついた。見慣れない観葉植物や写真立てが置かれたデスクは俺のものではない。 「起きたか」 「……あ?」 かけられた声は始のものとは違う。始より少し低く、しかし通りのいい声には聞き覚えがある。上体を起こして声の方を見ると、駒場が部屋に入ってきたところだった。いつもきっちり締められているネクタイを外し、ボタンを二つばかり開けた姿は随分ラフな印象を与える。 「ここへ運んでも起きなかったぞ。何だってあんなとこで寝こけてたんだ」 俺が桜を見て眠くなった時には、まだ図書室にいたはずだ。俺の隣には始がいたはずで、そうだ、始はどこへ行ってしまったんだろう。 そんで俺の制服のジャケットもどこかに蒸発してやがった。スラックスに通したベルトは緩められているし、シャツのボタンは半分近く外されている。 何だ、この状況。 「……」 口を開けば意味のわからない叫び声が出そうで、俺は開いた口を閉じて無言になった。 「おい、聞いてんのか晃人」 「……あの、すみません、状況がわからないのですが」 何とか平静を装って問い掛ける声は、我ながら低いものになった。警戒心を露わにする俺の目の前につかつかと駒場が近づいてきて、そのまま俺を見下ろす。奴の身体で照明が遮られ、頭上に影が降ってきた。 身長差もあり、妙な圧迫感を覚える。僅かに身体を強張らせた俺を見て、駒場がふふんと鼻で笑った。 「お前が外で意識を失ってたから運んできてやったんだ。ま、本人には礼のひとつも言われなかったけどな。中野は助けを呼びにいったみたいだが、あんなところに一人で置いておいて、伊都の親衛隊に見つかったら何をされてもおかしくない」 言われて、俺も少しばかり恥ずかしくなって俯いた。 駒場は迷惑と言えば迷惑だったが、それでも人目につくところでは俺と接触しなくなっていた。あいつ自身の親衛隊が動かないようにと、あれでも一応気をつけていたのだろう。それより明らかに自らの親衛隊を煽ろうとしていた伊都の方が悪質なのはわかっていたことだし、駒場の言うことは間違っていない。 「すみません……ありがとうございました……」 助けて貰えたのは事実なのに、誠意を疑うような真似をしてしまった。何となく真っ直ぐ視線を合わせられなくて、顔を俯けたままちらりと駒場の様子を見やると、あいつと視線がばっちり合ってしまった。 「……っ」 さっと頬が熱くなる。おっさんだおっさんだと思ってきたけれども、俺も少年時代をやり直したことによって随分と気持ちが幼くなってしまったことを実感した。今の俺は完全にただの拗ねた子供だ。自分の非を認めるのが難しくて、やっと非を認めたものの、今度は相手にどう捉えられたか気にするガキ。幾ら駒場がただの高校生でも、こんな幼稚な態度を見せられたら呆れるだろう。 だが、予想に反して駒場は唇を半開きにして言葉に詰まったようだった。 「あの……?」 何か言おうとしては言葉を呑み込むような素振りをする駒場に困惑し、首を傾げる。そんな俺の前で、駒場が拳を握り締めた。 「だから……っ、俺はお前が好きなんだと、言っているだろう!」 「え、う……わっ!」 泣き出す手前のような、あるいは怒り出したような表情で歯を食いしばり、駒場が俺の肩を掴んで強く押した。 「なにっ……」 どさりと背中からベッドへと倒れ込む。思わず何をするんだと怒鳴りつけようとして、俺を抑えつけるようにしてのしかかってくる駒場の目に暗い熱のようなものを見いだして息を呑んだ。 「晃人」 囁く駒場の息が熱い。全身を硬直させる俺を見て目を細めた駒場が、食らいつくように唇を重ねてきた。 |
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